みすず書房

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J・バーンズ『文士厨房に入る』

堤けいこ訳 [19日刊]

本書の著者ジュリアン・バーンズの名を日本の読者が知ったのは、『フロベールの鸚鵡』の翻訳が白水社から出た1989年のことである。退職したイギリス人医師がフロベール論を書こうとする物語でありながら、その論文の中身(になるかもしれないもの)やら年譜やらがちりばめられた作品は、原著刊行から5年後にわたしたちの目に触れたとき、ちょうど「ポストモダン」に似合って、めっぽう面白かった。デビューが遅かった作家の前身がレキシコグラファー(オクスフォード英語辞典の編集者)というのも、さもありなんと思わせた。

戦後生まれの団塊世代として当然のように、少年バーンズは台所に立つことなく大人になる。大学進学でロンドンに出て一人暮らしを始めても、料理といえない食い物をこしらえていた。それが、30代からクッキングに目覚めて、メインの肉と野菜、それからプディング(デザートのこと)と奇妙なスープまで作るようになり、「その後、といってもかなり経ってのことだが、グラタン、パスタ、リゾット、スフレ作りにまで手を広げていった。」

この推移はよくわかる。ある世代の日本の男たちも似たような経歴をたどったのではないか。バーンズと年の近い玉村豊男は玄人はだしになったが、ふつうの男は素人のままシェフを夢見ている。ところが、さすがにレキシコグラファーだけあって、バーンズが頼るのはもっぱら料理書の文字なのだ。「厨房の棚にあるわたしの料理本は、すぐに手の届く、ふだんよく使う段に24冊。そのうえの二段に35冊。それと、洗濯機が陣取っているくぼみの棚に、緊急時の予備として20冊。トイレに6冊と、たしか、あと10冊から15冊ほどが家のあちこちに散らばっているはず…」

テレビで「男子ごはん」なんてレギュラー番組がある時代になった。それでも子供にチャーハンを作るだけでなく、人を招いて料理する中年男たちには気負いがあって当たり前。そのあたりの気分と実践的なヒントに溢れた、この文学的料理エッセイは、キッチンに(も)楽しみを見つけた厨房男性とそのパートナーのための本である。




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