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『ランボー全集 個人新訳』
鈴村和成訳
永遠に来たるべき詩人ランボー。
初めての個人訳全集!
(長らくお待ちいただき、まことにありがとうございました)

『ランボー全集 個人新訳』
【訳者】 鈴村和成
- A5判 上製 592頁 6300円(税込)
ISBN978-4-622-07612-4
装幀 = 岡崎乾二郎
瓦礫の原でランボーを読む
辺見庸
かつて燦爛たることばの乱舞があった。内にも外にもおよそ境域も抑制もないイマージュの無限展開があった。詩句が眼を灼き、心臓を射た。にしても、美でもあり致死性の鴆毒(ちんどく)でもあったことばの奇蹟と幻怪はなぜ可能でありえたのか。いま、アルチュール・ランボーを没後百二十年だから読むべきなのではない。百二十年後、すっかり廃れたことばの荒れ野にたちつくし、ランボーとはいったいだれであったのか、自由な心は今日なぜこうもすがれ、病んでしまったのか…のわけがらをたぐるために読まれるべきである。ランボー没後百二十年は、ときあたかも、大地震と原発メルトダウンにかさなった。詩人がことばの底から時代を画する災厄を呼びよせたかのように。それかあらぬか、瓦礫の原で鈴村和成新訳「地獄の季節」や「イリュミナシオン」を読んでみるとよい。惨憺としてなお美しい近現代の終わりの夕焼けが詩行のかげに見えてくるから。
わが放浪
(ファンタジー)
僕は出かけたよ、やぶけたポケットに拳を突っこんで。
ハーフコートもばっちり決まってたな。
大空の下、あゆむ僕は、ミューズよ! きみの忠僕さ。
オ! ラ、ラ! なんて素敵な愛を僕は夢みたことか!
僕のいっちょうらのズボンは大きな穴があいていたよ。
――夢みる《親指小僧》、僕は道みち、つま弾いたものさ、
詩の韻をね。僕のホテルは《大熊座》だったよ。
――夜空で星たちがさらさらとやさしく鳴っていたな。
そうして僕は聞いたんだよ、道端に腰おろしてね、
あの九月の気持ちのいい晩に、夜露のしずくが
僕の額に元気づけのワインのようにしたたっていたっけ。
ふしぎな影たちにかこまれて、韻をふみながら、
リラでも弾くみたいに、ゴムひもをひっぱったんだよ、
おんぼろ靴のさ、片方の足を、僕のハートに引きよせて!



アルチュール・ランボー
(Arthur Rimbaud, 1854-1891)
フランスの詩人。北フランスのシャルルヴィル市に生まれる。陸軍大尉の父が早くから家を捨てたため、厳格で敬神家の母の強い影響下で育った。
早熟で模範的な優等生だったが、1870年の普仏戦争を境に生活が一変、学業を放棄して詩作に没頭する。71年秋、ヴェルレーヌの招きでパリに出、次いで二人でベルギー,ロンドンなどで同棲生活を送るが、73年7月に決裂。同年4-8月に散文詩集『地獄の季節』を、そしてその前後3-4年にわたって『イリュミナシオン』の諸作を書いた。75年頃からは文学を離れ世界各地を放浪、最後はエジプト、アビシニアで交易に従事する。91年右脚関節に腫瘍ができ、同年末マルセイユの病院で死去。類を絶した天才詩人として後世の文学に多大な影響を与えた。
鈴村和成
(すずむら・かずなり)
1944年生まれ。東京大学フランス文学科修了。元横浜市立大学教授。
長年ランボーの読解に心血を注ぎ、とりわけ詩作放棄後アラビア、アフリカでのランボーの足跡を実地にくまなく追うことで、これまでほとんど顧みられなかったアフリカ書簡に斬新な解釈を施してきた。著書:『ランボー叙説』『ランボーのスティーマー・ポイント』『バルト テクストの快楽』『ランボー、砂漠を行く』『ランボーとアフリカの8枚の写真』ほか多数。
【本書の特色】
- 詩篇と散文、『地獄の季節』『イリュミナシオン』、全書簡を収録
- 邦訳としては五番目、個人訳としては初めてのランボー全集
- 通読しやすく、座右に置いてくり返し読める一巻本
- 清新な現代語訳。たった今書かれたような息づかいに触れる
- 精確で喚起力のある、ドキュメンタリーとしても一級の書簡集
