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J・F・ビルテール『荘子に学ぶ』
コレージュ・ド・フランス講義 亀節子訳
ノーベル賞物理学者の湯川秀樹に『本の中の世界』というエッセイ集があって、いまでは小社の《大人の本棚》シリーズで読むことができる。『カラマーゾフの兄弟』や荷風の『あめりか物語』についても興味は尽きないが、やはり巻頭に置かれた『荘子』についての一文が、すごい。
祖父から教わった漢学の素養をもとに、小学生の頃から漢籍を読んでいた彼は、儒教の古典は「何となくおしつけがましい感じ」がして、あまり面白くなかった。中学で何度も読み返したのは『荘子』だった。しばらく忘れていた『荘子』のことを、素粒子のことを考えているとき思い出す。有名な「混沌」の寓話である。
南海から来た帝王の「儵」と北海から来た帝王の「怱」を、中央の帝王「混沌」がもてなす。お返しに儵と怱は、一つも穴のない混沌に、目、耳、口、鼻の七つの穴を、一日に一つずつ開けてやった。そうしたら七日目に混沌は死んだ。
湯川は儵も怱も素粒子みたいなものだと考えてみる。「それぞれ勝手に走っているのでは何事もおこらないが、南と北からやってきて、混沌の領土で一緒になった。素粒子の衝突がおこった。……そうすると混沌というのは素粒子を受け入れる時間・空間のようなものといえる。」この読み方は、いわゆる老荘思想の読まれ方とは一線を画すものである。
『荘子に学ぶ』の著者ビルテールが、もし湯川と会っていたら、大いに気が合ったのではないか。荘子の文は、非合理的ではなく「身近な話のように感ぜられる」と言う物理学者も、経験をきわめた哲学として『荘子』を読むビルテールを喜んだと思う。
コレージュ・ド・フランスで四回にわたって講じられた『荘子』の読み筋は、前提となる中国思想の知識がなくても、丹念に読めば理解できるように説かれている。われわれは荘子と同じく「危険で不確かな時代を生きている」がゆえに、最良の読み手になれる。
ちなみにビルテールはこの寓話を、「われわれの主観性が糧とし、それなくしては衰弱する、混沌あるいは虚空の喪失」として読んでいる。ここでいう「虚空」とは、たとえば口をぽかんと開けて呆然としているような「からっぽ」のことである。そして、わたしたちは日常においても、その「からっぽ」を必要としている。古典の深さを改めて思い知らされる名講義を、ぜひ聞いていただきたい。
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