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藤山直樹『落語の国の精神分析』

思い起こせば5年前、「日本語臨床研究会」という心理療法家たちの勉強会で著者・藤山先生の「粗忽長屋」を観たのが始まりだ。「あの先生はなかなかやるよ」という噂は聞いていた。とはいえひとつ聴いてみるかと思ったのは、発表の場でも闊達に生き生きとした発言をする先生だったから。それもそのはず、学生時代から社会人になっても、自分の劇団を主宰していたような人なのだ。
あまり期待せずに聴いたそれは、素人の落語のイメージとは違う、熱と自在さのある高座だった。開口一番、まくらの巧みさに驚いた。お客の笑いを冷静に測りながら、下ネタから時事ネタまでリズミカルに繰り出してくる。後年になって、それらのジョークは口調やしぐさの端々まで、そっくりそのまま立川談志のコピーであることを知るのだが……。そうなのだ、藤山先生が遂に落語を演るようになったのは、幼児期からくすぶりつづけていた落語熱が60代の談志の落語に触れることで再発してしまったからなのである。

談志の発言や著書に注目していた人ならば、師が落語を語る時「主観」とか「登場人物を解体する」とかといった言葉をよく使い、時にはもの問いたげな視線で「フロイトの言うエスってことだな」なんて言い回しをしていたことを知っているだろう。師匠一流の勘が、落語という数百年間日本人に愛されつづけてきた物語の秘密を語るとき、その精神分析の用語が有効であると嗅ぎとっていたのだろう。ある意味で、落語とは「古典」であることを意識していた初めての落語家と言ってよいのではないか。

立川談志という人は、とことんものを考える人だった。噺を一旦解体して、自分の手で組み立て直す。その作業を経てからでないと根多を演れない人だった。腑に落ちぬうちは前に進まない、その人柄をうかがわせるこんなエピソードがある。
NHK「ためしてガッテン」の特別企画でのこと。師匠の疑問をひとつ、と乞われた談志、カメラに向かってこう問いかけた「唐辛子はなぜ辛いんだ? 甘いのならわかる。動物に食べられてタネが方々に散っていくわな。辛くなくてはいけない理由が必ずあるはずです。偶然じゃないと思うんだ。教えてくれないかなあ」。それに対して、「唐辛子は哺乳類に食べられると歯ですりつぶされてしまう。なので自分自身を辛くすることによって丸呑みしてくれる鳥だけに食べられ、糞とともにまいてもらって子々孫々繁栄してきた」というもっともらしい結果が報告された。これでスタジオも視聴者も満場一致でガッテンガッテンガッテン!と収録現場は収まった。ところが視聴者の中に一人ガッテンできない人がいたのだ。それは疑問を出した当の本人、「おかしいじゃねえか。進化の過程で言や、鳥よりも唐辛子が先に存在しているはずだろう」。この志の輔師匠によって書かれたエピソードを読んだとき、これが立川談志という人なんだ、と私は心底納得した。

落語は日本人の「古典」の視点から、雑誌「みすず」で本書の元になる連載をスタートさせた2008年、談志師匠は、著者と担当編集の私にとって、ろうそくの火のような存在だった。まだ点いている、まだ点いてる、この連載が1冊の本になったら、談志師匠に読んでもらうんだ。それは一つ文章を書き終えるたびに灯っていることを確かめる、ひとつの確かな明かりだった。とうとう終わりの1つ、最後に必ず書くと決めていた「談志論」にたどりついたと思ったその時に、談志師匠は消えてしまった。まるで「死神」の下げのように。

立川談志に、頭のなかでこねくり回しただけの嘘の分析は通用しない。著者の覚悟は並ではなかったはずである。
「雑誌「みすず」に不定期に落語についてのエッセイを連載しはじめてから4年、毎回脱稿するたびに心地よい疲れなどというものをはるかにこえた消耗を感じてきた。こんなことははじめてだ。(…)ただひたすら、自分自身の頭と気持ちを使って書くしかなかった。何日も何日も一字も書けないということがしばしばあった。ここで主題にした根多はすべて、私が一度は演ったことがある根多だ。その演ったときの感覚、その気持ち、そいういものに忠実に向き合うことによって、突然に何かが形になり、あとは一気呵成に書けてしまう。そういうことが何度もあった。ひとつひとつの根多になんだか懇ろになった気がする四年間であった。」と「あとがき」であらわしている。

談志師匠が逝ってから最終章「立川談志という水仙」が書き終えられるまで数か月かかった。その間、これも構想のひとつだった巻末での落語家の方との対談は、立川談春師匠にお願いしたいという想いがどんどん強くなっていった。談春師匠ならばきっと、談志の落語観に影響を受けた本書の論考に深く鋭い視線を投げかけてくれるだろう、そんな強い気概と含羞を高座の姿から感じていた。それは談志師匠の死によってますます強く濃くなっていくようだった。
対談中、まるで琴の弦を弾くように、相手の言葉にビンビンと反応する談春師匠の感受性の鋭さ回転の早さに、驚嘆した。一流の芸人とはこんな風に空気を操ってみせるのか。

もうすぐ談志師匠の一周忌。その日に空に向かって本を掲げてみれば「間が悪いねえ、お二人さん。今月はちっと立て込んでるんだ、読めねえよ」という声が聞こえてきそうだ。




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