最後の授業
心をみる人たちへ
判型 | 四六判 |
---|---|
頁数 | 200頁 |
定価 | 1,980円 (本体:1,800円) |
ISBN | 978-4-622-07543-1 |
Cコード | C0011 |
発行日 | 2010年7月21日 |
判型 | 四六判 |
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頁数 | 200頁 |
定価 | 1,980円 (本体:1,800円) |
ISBN | 978-4-622-07543-1 |
Cコード | C0011 |
発行日 | 2010年7月21日 |
このマス・コミュニケーションの時代に、私たちは一人の、パーソナルな心を取り扱う専門家であることを強く意識して、仕事をまっとうしたい、まっとうしてほしいと思う。——毎年、心の問題に関心を寄せ授業に訪れる新しい学生たちに向けて、著者は繰り返しこの本質的な心構えを伝えてきた。ここには、精神科医であり、かつてミュージシャンとしてマスコミを深く体験した著者の特別な思いがこめられている。
インターネットや映像メディアの発達によって、劇場的なコミュニケーションがますます高度化する一方で、私たちは、その裏側にある見えないもの、見せられないもの、見にくいものについて、そして心の裏や傷つき、死について、想い考える時間・空間を失いつつあるのではないか、そう著者は問いかけつづけてきたのだ。
2010年春の九州大学退官を前に、学生たちに向けて行った「最後の授業 テレビのための精神分析入門」と「最終講義 〈私〉の精神分析」ほかを収録。二者間の内的交流を重視する対象関係論の論者として、『古事記』や「鶴の恩返し」などの神話や昔話に紡がれた男と女、母親と子ども、そして日本人の「心の台本」を読み取ってゆく。
連想と「置き換え」にあふれる冒険的な授業からは、“人生について共に考え、自分の物語に自ら意味を与えて生きてゆこう”と謳う著者の声が聞こえてくるようだ。
I 最後の授業 テレビのための精神分析入門
第1回(2010年1月18日/前半)
テレビのための授業という実験/テレビ的状況を精神分析的に考える/心には裏の意味がある/精神分析は心の裏の意味を読み取る/言葉が人生を物語にする/心は空間/私たちは心の表と裏の葛藤を生きている/お笑い番組の機能
第2回(2010年1月18日/後半)
心の裏を見るための方法/映像は想像力を奪う/心の裏側はマスコミには映らない/パーソナルな心のあるところ
第3回(2010年1月25日/前半)
セラピストは楽屋を見せないことも大事/精神科医のフィールドはパーソナル・コミュニケーション/セルフモニタリングの時代/セラピストの心のセルフモニタリングのために/自分の心の中でセルフモニタリングできると「離見の見」/セルフモニタリングからセルフリフレクションへ/鏡の原点としての母親の機能
第4回(2010年1月25日/後半)
「裏の喪失」/マイケル・ジャクソンの徹底したセルフモニタリング/患者の心をモニタリングするのがセラピストの仕事/二者間内交流/セラピストは二者言語のつかい手/セラピスト自身の環境も大事/治療室は心の裏を見るための場所/精神分析家になるためのトレーニング
II 最終講義 〈私〉の精神分析——罪悪感をめぐって
私と精神分析/「心の無意識の台本」/罪悪感をめぐって/『古事記』から読み取る日本人の「心の台本」/恐怖‐逃走の解決を求めて/「覗いてみたら動物だった」/絵によって死に慣れる/物語の展開は変えられた/日本人の物語は終わらない/潔いことの美化/異類婚姻説話/生き残ること/〈私〉がいるとき/中空構造理論、「甘え」理論との比較/日本のさまざまな〈私〉/〈私〉を支える環境/原点となったはじめての患者
III 「精神分析か芸術か」の葛藤——フロイトは私のことが嫌いだと思うことから
フロイトへの旅/フロイトの汽車不安/フロイトの中の三角関係/フロイトの罪悪感/フロイトのアンビバレンス/「大洋感情はどこにも見つからない」/フロイトが到着したところ
著作リスト
あとがき