みすず書房

「私は本書で、近現代日本を通底する気分について分析を加えた。このような閉ざされて分断された気分を変えていくのは、希望の強制や激励ではない。人と人との対話、誠実な議論と感情交流によってしか、こわばりを溶かしていくことはないであろう」(「あとがき」より)

「愛する人、過去の思い出の詰まった物、一切を失ったとき、残された人は悲哀、長い抑うつの時間をへて、故人との対話の中から自分の生きる意味を再び見出していく。この経過をスキップしたり加速したりできるものではない。同じく社会も、十分に悲しみを共有することによって、信頼を豊かにしていくのである」(「被災地に立って」より)

いまの日本を生きる私たちは何をどう考えていけばいいのか。日本社会再生のため、山積された問題を、他者理解、政治・社会変革の具体的事象で問い、ラディカルな思考を投げかける。「東日本大震災——被災者理解へ問われる人間観」「閉ざされた不安から開かれた対話へ」「自殺が組み込まれた社会を変えようではないか」など、最新の現代日本社会論(比較文化/精神医学的考察)。

目次

I 東日本大震災——被災者理解へ問われる人間観
  被災地に立って

II 開かれた対話へ
  閉ざされた不安から開かれた対話へ
  自殺が組み込まれた社会を変えようではないか

III 現代日本の情景
  チベット暴動/映画『実録・連合赤軍』/神なき時代の聖火/花をめでるネアンデルタール人/東寧の要塞は誰が造った/残留孤児たちのふるさと/国家を超えた災害支援を/ニ・ポロック/宇宙基本法とポスト・ドクター/ネパールの「白い虎」/秋葉原事件/ネ・ペルセ族の説話/台湾元慰安婦への支援/震災と芸術展/森のなかのクメール遺産/大学の安全推進/賢いパパとママは新聞から/領土問題は国民を幸せにするか/大興安嶺のオロチョン/戦争のお勉強/ノモンハンに吹く風/精神科医カラジッチ/福田康夫首相の理性と感情/室戸のマグロ漁/教員免許のための講習/脳研究の嘘/チェルノブイリ診察/二十二年後のチェルノブイリ/カルパチアの南/カードと現金の間にあるエロス/小判鮫賞/防衛大学校における教育の問題/歴史の偽造と空元気/真空に咲く大麻/教育行政と子どもの暴力/東京大空襲の今/クリスマス・デプレション/やさしい非情/老後へのお年玉/ベトナム二〇〇万人餓死/老いて再燃する戦争体験/踊らされる内閣支持率/命令による教育/西松と鹿島の伝統/自ら学んでいく子ども/北方四島への人道支援とは/ハイテク兵の脳損傷/ワークシェアリングは新聞社から/「すてき」な水爆から五十五年/核実験から宇宙戦争へ/太平洋の主人は誰か/原子炉との対話/破局的体験後の持続的人格変化/資格検定ビジネスの流行/ミサイル広報の効果/ウクライナのホロドモール/小沢一郎氏の利益誘導/無邪気な脳研究/伊賀焼の蒸し鍋/食べ物、火、食器の関数/北朝鮮分析が忘れたもの/生の芸術、アロイーズ/佐々井秀嶺師/一澤帆布と最高裁/被爆者の哲学/破滅の型を疑え/サッカー落雷事故/三宅一生の告白/四川の青梨/四川大地震と住宅再建/被害としての戦争記念日/杜甫草堂、夏の夢/永遠に正しい裁判官/知らない街をなじみにする/キプロスの夕暮れ/にがいレモン/憂愁のイスタンブール/文科相に望む/教員の質とは/足利事件の精神鑑定/西松和解と鹿島花岡/近い歴史の偽造/過熱する龍馬像に寄せて/戦争博物館国際フォーラム/東北兵士の手紙/新聞を流れる時間/7時28分の恋人/北朝鮮へ去った母/坂の上の黒雲/日中歴史、非共同研究/「花岡和解」から十年/宗教からの新年の言葉/犯罪報道は何のためか/ナグプールの寺に泊まって/ヒンズー教徒の危機感/ヒンズー、カースト制と天皇制/ニセコの有島武郎/何のための歴史対話か/何を信じればよいのか/国鉄文鎮はどこへいった/軍事パレード/信濃川強制連行和解拒否/菊畑茂久馬の戦争画論/長谷川等伯/普天間を考えさせた鳩山首相/木の芽立ちの別れ/アイスランド噴火/一万キロの遠隔殺人/すかんぽ/殿下に熊皮献上/学校での自己申告書/自殺対策のつくろい/山のあなたに/鮫の息づかい/鬼太郎の住む街/「黄金の三角地帯」の今昔/インドシナ山地の学校/「日本一」の好きな島/夏祭りテロとの間/朝鮮人を助けたアイヌ集落/原爆に生きて/大阪の幼児遺棄/旅する人/海の環/戦後補償は動きだしたのか/エッダ・ホテル/ラクスネスの家/医療や教育での管理/自殺を組み込む社会/検事の訊問のはて/自分を好きになれない/芙蓉に酔う

あとがき

書評情報

北村肇
週刊金曜日2011年9月9日号(第862号)
斎藤貴男(ジャーナリスト)
信濃毎日新聞2011年10月2日(日)

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