みすず書房

カッシーラー『認識問題』全4巻・5冊[完結]

第3巻 須田朗・宮武昭・村岡晋一訳

2013.06.25

『認識問題』 4 (山本義隆・村岡晋一訳)が刊行されたのが1996年6月25日。それから17年後のいま、カッシーラー『認識問題』全4巻・5冊は、最後に残った第3巻の刊行をもって、ようやく完結した。しかし、話はもっとさかのぼる。

私事で恐縮だが、学生時代の1980年だったと思う。ルカーチの『歴史と階級意識』を読んでいて、ポイントのところにくると、「これについてはカッシーラー『認識問題』第1巻を参照」という注記に何度か出くわした。「これは大変な本にちがいない、日本語訳は出ないのだろうか」。気になって、周囲の人間にきいたら、「こんなにラテン語がいっぱいで科学史の知識も必要な本は翻訳不可能じゃないか」との反応が多かった。それでも気になりつづけて、編集者になって数年たった頃に関係者に相談して、第1巻の翻訳企画を考え、科学史・ルネサンス関係・哲学をそれぞれ専門とする訳者チームで翻訳作業をはじめたが、頓挫してしまった。(当時の訳者の皆さまはじめ関わっていただいた方には済まないと思っています。)

そんなある日、メルロ=ポンティの仕事を中心にお付き合いしていた木田元先生から連絡が入り「生松敬三さんが中心に思索社から刊行予定だった『認識問題』の原稿の一部が生松家から見つかった。山本義隆さんの原稿があり、残りは僕のところにいる村岡君がやってくれる。思索社はもう出せないそうだ」とのこと。当時JR御茶ノ水駅前にあった画廊喫茶「ミロ」で4人で会い、『認識問題』 4 の刊行計画がはじまり、最初に書いたように、1996年に出版した。

その途中だったのかどうか、どうせなら全4巻すべてを刊行しようということになったのは。いま第4巻の山本義隆さんによる「訳者あとがき」をみると、僕は第4巻の企画以前に山本さんに全4巻の刊行計画を伝え、協力要請をしているそうだが、まったく記憶にない。ともかく、村岡さんが音頭をとって、木田元門下の中央大学哲学科の須田朗・宮武昭の三人の先生の翻訳で、その後、原書第2巻を二分冊で刊行し、僕がかつて夢見ていた第1巻も順調に世に送ることができ、そして今回、第3巻の刊行になった。

先にあげた山本さんの「訳者あとがき」には、フランツ・ボルケナウの『封建的世界像から市民的世界像へ』を大学院時代に読んで、そこでカッシーラー『認識問題』に出会い、「その後、東大闘争を経て70年代のはじめに、実は東京拘置所でルカーチの『歴史と階級意識』を読んで、再び『認識問題』にたいする高い評価にゆきあたった」とあり、以下にルカーチの文章と僕が最初にあげた注の引用がある。僕とは全然レベルはちがうが、同じ着目から偶然も重なってご一緒に『認識問題』の仕事ができたことは、ちょっと嬉しいエピソードである。

原書第1巻の刊行が1906年、2巻が1907年。第3巻が1920年。そして第4巻は1957年。カッシーラー自身も当初はカントを扱う第2巻までの刊行を考えていたが、その後企画を拡張したらしい。1・2巻と3巻・4巻では本の構成もちがってくる。翻訳の経緯とは事情はむろん異なるが、なかなか予定通りとは行かないようだ。

『認識問題』(全4巻・5冊)は、質量ともに広く深く、哲学者の生涯と思想と作品を追ったスタンダードな哲学史とは違って独自の方法論に基づき、抽象度ががぜん高くなる。読みとおすには集中力と忍耐が要求され、どこまで読者がいるのだろうかと不安にもなる。しかし、未来の読者もふくめ、この国に全巻を提示できたことは、ちょっと誇らしい。