みすず書房

宇野邦一『吉本隆明 煉獄の作法』

2013.08.12

[19日刊]

「関係の絶対性」「大衆の原像」から「自己表出」「共同幻想」「心的現象」を経て母型論、ハイ・イメージ論へ。吉本隆明とは何者だったのか。自在にジャンルを越境するブリコラージュ群をあざやかに読みといた思想地図。

「あとがき」より

宇野邦一

追悼の文をいくつか書くうちに、一冊の本を書かなければと思いだした。吉本さんの死後一年間、納得のいくまで読み改めたところで、この春一気に書き進んだ。吉本さんの霊でなくても、死のもたらした空白が背中を押していた。もちろん、すんなり書けたわけではない。かつて強い影響を受けたあと、徐々に吉本さんの発想から離れるようにして、思想や批評の文章を書きながら私自身が考えてきたことは、多くの点で彼の原則や方法に離反していた。いまさら和解することなど思わなくても、その「離反」にどういう問題がひそんでいるか、考えなおすことなく進むことはできない。

もちろん第一に、彼の思想がなんだったか、私の視点から正確に読みとくことをめざしたが、批判的な見方をいたるところにちりばめることになった。そのことによって、むしろ吉本さんの思考の強靭な独創と本質性が浮かびあがってきているといい。

はじめてお宅を訪れた機会に、吉本さんの仕事机のうえにドゥルーズとガタリの『カフカ』の訳書がおいてあった。吉本さんは、その内容に驚いていたらしく「こういう発想はいったいどこからきたんでしょう」と尋ねられたのを覚えている。帰り際には「あまり学者的にならずに思想の巷で頑張るように」という意味のことを言われて励まされた(私はその助言をあまり守れていない)。また一九八七年九月の「いま、吉本隆明25時」という集まりに参加して、午前四時三十二分という異例の時刻に「批評と無意識」という題で話をしたあと、吉本さんと対話するという機会をもったこともある。そのあとはもう接触を求めないまま私自身の道を歩んできた。しかし批評的な文章を書く姿勢じたいに吉本隆明の影響はおよんでいたと思うから、訣別したという思いはない。

吉本さんの本に関心がなくても、『反核異論』の吉本さんの発言や、最期の原発擁護の意見を覚えている人々が少なからずいる。その意味は、彼が戦後からどういう思想をつみあげてきたかつかまなければわかりがたい。彼の立場は、もちろん国家や企業や電力会社の原発推進の方針とはほとんど関係がない。私は彼のこの考えを理解するが、しかし賛成ではない。

電力の問題に関しては、このごろ合衆国ではまったくの自由市場で分刻みに売買されるようになった多種の電力のうち、安全対策や廃棄物処理のコストがあまりに莫大なため原子力が撤退するケースが出始めているという。吉本さんが考えたように、この世界の科学技術や資本主義の発展を、そしてそれをもたらしてきた人間の叡智をけっして後退させることができないとすれば、まさに原子力は野蛮で不条理な過去のエネルギーであるかもしれないことが露呈しつつある。

このことも含め吉本さんの時事的発言のあとを精密に考察しようとすれば、それなりの周到な準備がいる。吉本さんは、いつも(とりわけ晩年は)大胆に意見を述べつづけた。テレビのどんな番組もよく見て「世情」を考えていた。それも大事な一面で、将来吉本隆明の伝記を書く人は無視してはならないだろう。しかし私のこの論では、ただ中心の思考の波動を追うことだけに集中するしかなかった。

(copyright Uno Kuniichi 2013)