みすず書房

エリック・ホッファー『波止場日記』

労働と思索 田中淳訳 森達也解説 《始まりの本》

2014.09.09

距離と違和感――『波止場日記』解説日記〔抄〕

森 達也

七月十一日
週末の金曜日。夜は新橋に行く。テレビ業界の友人たちと久しぶりの酒席。最初に行ったモンゴル料理の店はネットで有名らしい。確かに羊肉が主体の料理は美味しい。でも店内があまりにも騒々しい。両隣のテーブルでは数人の中年男女がずっと大騒ぎ。あまりの騒音にほとんど会話ができない。

そういえば数日前にゼミの学生たちと飲んだ御茶ノ水の居酒屋は、JPOPが絶え間なく大音量で響いていて、やっぱり会話がほとんどできなかった。

フランスから来たドキュメンタリー映画監督が、日本人はどうしてこれほど音に鈍感なのか、と驚いていたことを思いだす。繁華街は騒音の洪水だ。駅や商業施設では白線の内側に下がれとかエスカレータのベルトに掴まれとかのアナウンスがひっきりなしだ。これに比べれば確かにヨーロッパは静かだ。それに街全体が暗い、言い換えれば日本は明るすぎる。東に行けば行くほど夜が明るくなってうるさくなると彼は言っていた。だから電気の消費量が多くなる。彼らにとっての東の果ては東京だ。

とにかくこれでは話にならないから店を替えようと提案して、すぐ近くの和風の居酒屋に入る。やっと落ち着いた。冷たい日本酒を飲みながら、友人たちとじっくり語る。

ゴールデンタイムはお笑い芸人たちの下らないバラエティ番組ばかりじゃないか。今のテレビをそう批判する人は多い。僕もそう思う。でもそうなってしまっている理由もわかっている。ゴールデンタイムにイスラエル・パレスチナ問題やアフリカの飢餓と貧困をテーマにしたドキュメンタリーを放送しても誰も見ない。スポンサーが納得しなければ番組は存続できない。もちろん今に始まったことではないけれど、その傾向が加速している。

七月十二日
ゲラで送られてきた『波止場日記』を半分ほど読む。ひとつ気がついた。ホッファーの文章には常に距離がある(彼の他の著作にもそれは感じるから翻訳の問題ではない)。その距離とは何か。書き手と読者との間の距離か。あるいは書き手とテーマとの距離か。それとも書き手と被写体(沖仲士の作業を一緒にやったホーボーたちや、頻繁に登場するリリーと息子)との距離なのか。補足するが「距離がある」とは「遠い」という意味ではない。距離に対してホッファーが常に自覚的であるということだ。でもうまく言語化できない。これを言語化できなければ解説にはならない。そう思いながら読み続ける。

午後は図書館。ホッファーの自伝を探したけれど貸し出し中。今このとき、エリック・ホッファーの自伝を読みたいと思う人について、しばらく考える。どんな人かを想像する。きっと若くはない。でも老人でもない。男女はわからない。日々の生活を送りながら、何らかの違和感を常に抱え続けている人だと思う。その違和感は政治や社会に対してだけではない。人はなぜ生きるのか。人はどこから来てどこへ行くのか。そうした疑問や違和感を放置できない人が、きっと今、ホッファーの自伝を読んでいるのだ。もちろんこれは僕の思い込み。まったく的外れかもしれない。

七月十四日
終日、もうすぐ刊行される本のゲラ作業。どうにも集中できない。『波止場日記』を少しだけ読む。

ホッファーはニューヨークのブロンクス生まれ。母親と死別したのは七歳のとき。そして同時期に視力を失う。資料を読むだけでは、どちらが先なのかわからない。ほとんどの文献には「同時期に」としか書かれていない。そもそも事故や病気でもないのに視力を失うことが不思議。母親の死が大きな精神的ダメージを与えたのだろうか。ところが八年後にいきなり視力を回復する。まるで寓話のような少年時代だ。

ホッファーについて誰もが驚くのは、正規の教育はいっさい受けていないということ。視力が回復してから三年後に父親が死去して、その後はロサンゼルスの貧民窟でその日暮らしの生活を送りながら、貪るように本を読んだと書かれているが、本を読んだだけであれだけの思想を形成することができるのだろうか(そもそも読めるようになるまでが大変だ)。

もしも彼が半世紀遅く生まれていたら、新聞や雑誌には「奇跡の哲学者」とか「不屈の思想家」とか「流浪の知識人」などと称える記事が毎日のように掲載されて、彼を取り上げるテレビ番組は大きな話題になっていただろう。当然ながら出す本はすべてベストセラーだ。

……いやそれはないか。ホッファーはたぶんテレビから出演依頼が来たら、明日は第三十五埠頭で早朝から仕事があるからと言って断るだろう。ベストセラー作家との対談を依頼されたら、私はその人に会ったことがないからと言って電話を切るだろう。まして知識人などと形容されたら、顔を真っ赤にして怒るだろう。いずれにせよ、彼の数奇な半生は、哲学者としての彼の評価とは別に考えるべきだ(でもホッファーが大きく注目されたきっかけの一つはテレビなんだよな)。

七月十五日
大学の授業。全部で五コマ。かなり疲れる。大学院の授業も一コマだけあるが、院生には中国からの留学生が多い。日本と中国のメディアの違いについて一人ずつ発表させる。足して二で割ればいい。上海出身の院生のこの結論には笑った。でも本質をついていることも確かだ。

あらゆるものは変化する。それはまず大前提。無限に続く可塑性。でも人はそれを忘れがちだ。

自己の状況に恐れを抱く人々は、自己の状況がいかにみじめなものであっても、変化に思い至らないのである。

ホッファーのこのフレーズを思いだしながら帰宅する。電車の中でゲラをほぼ読み終える。でもまだ咀嚼出来ていない。いくつかのことを言語化できていない。少なくとももう一度は読み返すべきだろう。
〔以下略〕

(もりたつや ドキュメンタリー映画監督/ノンフィクション作家)
copyright Mori Tatsuya 2014
(著者のご諒解を得て抜粋掲載しています)