みすず書房

『中井久夫集 10 認知症に手さぐりで接近する 2007-2009』 最相葉月「解説 10」より

[第10回配本・全11巻]

2019.04.10

『中井久夫集』には全巻、最相葉月による「解説」がつきます。
中井久夫と河合隼雄に焦点をあてた『セラピスト』(新潮社)でも知られるすぐれたノンフィクションライターの手になる解説は、中井久夫の人と仕事の背景を時間軸にそって詳細かつスピーディに解き明かし見事です。

解説 10

最相葉月

2007年1月に73歳となった中井久夫は、その春に兵庫県こころのケアセンター長を退任し、臨床医としての仕事をすべて退いた。2002年に就任した、現・公益社団法人ひょうご被害者支援センターの理事長(2008年より顧問)が公的には最後の職務となる。〔…〕

『中井久夫集10』には、2007年8月から2009年4月に発表された論考や随筆が収録されている。初出は、雑誌「みすず」の不定期連載「臨床瑣談」や長らく寄稿している神戸新聞のほか、出版社の求めに応じて書かれたものが中心である。

この間、軽い脳梗塞を発症し、家庭内では老老介護が始まり、ガンや認知症を患う親戚や友人、知人あるいはその家族から助言を求められることが増えた。「家庭に戻していく側」の視点を保ちつつ、彼らと主治医の間に立ってなんらかの役割を担おうとする中井本人がたびたび登場するのが、本巻の特徴であろう。義兄に頼まれて丸山ワクチンの開発者である丸山千里に会いに行った話や、仲良しの叔母のガン告知に立ち会ったこと、ガンの手術は成功したけれど院内感染が起こったから一度診に来てほしいと友人に頼まれた話など、近しい人々から投げられた変化球にこれまでの経験や知識を総動員して向き合い、応用問題を解こうとする様子が描かれている。

背景には、医療が「告知の時代」に入ったことがある。医師に任せておけばそれでいいというパターナリズム(父権主義)を脱し、病名を告知したうえで患者とその家族に多くの判断を委ねるようになった。患者の自己決定権を尊重するといえば聞こえはいいが、医師と患者の間に歴然と情報格差がある中で、病気や治療の説明を受けて同意書にサインしたとしても、それが患者の真の意思を表すものとはいいがたい。

「自己防衛のために告知しているにすぎないとしか思えない場合もあり、訴訟に対しての備えなのか一字一句助手に書き取らせるところもある。しかし、告知とはそれで済むものではなかろう。
告知の時代には、告知する医師には告知しただけの覚悟も必要であり、また、告知された患者も茫然たる傍観者ではなく、積極的に何かを行ないたいだろう。患者もその家族、知己も、いつまでも手をつくねてドアの外で待つだけの存在では済むまい」(『臨床瑣談』まえがき・2008)。

主治医ではないが、一般的な患者の家族や友人とも違う。中井の働きは、彼らに寄り添いつつ彼らの置かれている状況を一歩引いたところから俯瞰し、医師団との間のずれを埋める作業といえようか。ガンについて意見を求められれば、まずガンとはどういうものかから話し始める。ガン細胞は日常的に発生しては除去されていく内なる細胞であり、たとえ一部が残ってもそれが免疫系によって破壊されること。ガンは異物混入ではなく、日常の延長線上に起きた異変であること、すなわち、「ガンも身のうち」という見方をまず示す。

「日常で頼りになるのは「いつもと違うぞ」という感覚と、体重と、最近のストレスフルな事件の密度である」「麻酔医が前日に患者を訪問するのがよい病院」「無理にでも笑う顔を作って「脳をだまして」みるとよい」(「ガンを持つ友人知人への私的助言」)などは、ガンを標的としか見ない、あるいは見ざるをえない医師団からは得にくいアドバイスである。「ガンの回復に特化した病院があってもよいではないか」(同)と中井が考えたのは、統合失調症の寛解過程を観察していた1960年代後半の頃だが、それから40年以上経って日本でもようやく複雑化したガン医療を担う腫瘍内科医が誕生し、大病院から在宅治療まで広い場面で彼らの需要が高まっている現状を見ると、その先見の明に驚くばかりである。〔…〕

(copyright Saisho Hazuki 2019)

『中井久夫集10 認知症に手さぐりで接近する 2007-2009』(みすず書房)カバー