みすず書房

『これからの微生物学』訳者あとがき(矢倉英隆)

パスカル・コサール『これからの微生物学――マイクロバイオータからCRISPRへ』矢倉英隆訳

2019.03.26

(巻末「訳者あとがき」のほぼ全文を以下でお読みになれます)

コサール『これからの微生物学』訳者あとがき

矢倉英隆

人類が目覚めてからほぼ2500年の歴史があるとすれば、我々はその4分の3にあたる年月を目に見えるものだけを相手に生きてきたことになる。紀元前4世紀に生きたアリストテレスは、この世界に存在する生物を人間と動物と植物に分け、人間をその知性ゆえに最高位に属する生物として規定した。その生物観に変化が生じたのは、アントニ・ファン・レーウェンフックが肉眼では見えない世界を顕微鏡で観察した17世紀に入ってからである。それから2世紀が経過した19世紀に入り、ルイ・パスツールは目に見えない世界に生きるものを「微生物」(microbe: mikros 小さい + bios 生物)と命名し、ロベルト・コッホとともに新しい病原体の発見に大きな成果を収めた。そのためか、微生物と言えば我々に害を与える悪いものというイメージが長い間に定着していった。しかし最近の研究によれば、病原性を持つ微生物はむしろ少数派で、大部分は我々の日常に欠かせない存在であるという。ときに敵対するものの、我々は「彼ら」なしには生きられないのである。著者のパスカル・コサール教授は、肉眼では見えないがきわめて重要な世界を本書において可視化し、「彼ら」の行動原理を示すことで我々を驚かせてくれる。

4部構成の本書の内容は以下のようになっている。第I部「微生物学の新しい概念」では、細菌が病原体となることは少なく、ほとんどの場合はむしろ我々の友であること、多くの遺伝子機構やRNA革命と言われるものが細菌を舞台にして明らかにされたこと、細菌の防御メカニズムを担うCRISPR/Casシステムの解析からゲノム編集の優れた方法が確立されたこと、そして抗生物質の耐性の問題が論じられている。第II部「社会微生物学」では、細菌の社会生活が描かれている。たとえば、細菌が集合してできるバイオフィルム、細菌間のコミュニケーション手段としての化学的言語とクオラムセンシング、細菌同士の殺し合い、細菌と動物や植物の共生としての微生物叢、細胞内共生などである。第III部「感染の生物学」では、歴史に大きな傷跡を残した感染症や新興感染症としてペスト、ハンセン病、結核が取り上げられ、小児の感染症、院内感染、性感染症、バイオテロリズムに用いられる細菌などが論じられている。さらに、病原菌が用いる様々な戦略、昆虫や植物の病原菌、そして感染症に対する新しい見方を提示している。最後の第IV部「細菌はツールである」においては、たとえば、生物学研究には欠かせない制限酵素やゲノム編集の手法としてのCRISPR/Cas 9システム、我々の健康にとって有用だとされるプロバイオティクス、糞便移植、さらに興味深い細菌のメカニズムを利用した生物農薬、植物の根を護るための細菌などに焦点を合わせている。

このように細菌の生物学に集中するだけではなく、他の動物や植物との関係、環境との関係という大きなネットワークの中における細菌という視点からこの世界が記述されている。その意味では、本書でも取り上げられている”One Health Initiative”の考え方に近いと言えるだろう。じつはこの概念は新しいものではなく、ヒポクラテスの時代にまでさかのぼることができる。また、19世紀の病理学者ルドルフ・フィルヒョウの考えの中にも見られる。彼はテオドール・シュワンの「生物は細胞から構成される」という細胞説を発展させ、「すべての細胞は細胞に由来する」という細胞説を提唱したことでも有名だが、ヒトの病気と動物の病気との間に境界線はないと考えていた。そして、「人獣共通感染症」(Zoonose; zôon = 動物 nosos = 病気)という言葉を造り、ヒトの病気の予防のために食肉検査まで唱えている。医学を社会科学としてとらえていたことがわかる。

最近、細菌の免疫システムであるCRISPR/Cas 9がゲノム編集のきわめて有用な方法として脚光を浴び、その適用に伴う倫理的な問題も議論されている。しかし、CRISPR/Casはその技術的側面に加え、免疫の本質、そして免疫の持つ認識機能と神経系の機能との関連を考察する上でもきわめて重要な示唆を与えるシステムであるとわたしは考えている(Yakura, H. A hypothesis: CRISPR-Cas as a minimal cognitive system. Adaptive Behavior, doi.org/10.1177/1059712318821102)。また、細菌を舞台として展開されている合成生物学の新しい成果によると、自然界には存在しない新しい塩基対(d5SICSとdNaM)が細胞内で排除されることなく機能することができるという。この成果は新しい情報をDNAに書き込むという技術的な進歩をもたらすだけではなく、地球外生命が存在した場合、その遺伝メカニズムは我々のものと同じであるという保証はないことを示唆している。このように、微生物は多くの技術的アプローチを可能にするだけではなく、人間を含めた生物という存在を哲学的に観想するための貴重な材料も提供している。その点では、技術(テクネー)が本来持っている意味──それまで見えなかったものを見えるようにするポイエーシス(創造)──に相当する役割を微生物が担っているとも言えるだろう。レオナルド・ダ・ヴィンチは「すべてを見る」ことを生涯にわたってやり続けたと言われる。ここで言う「すべてを見る」とは、見えたものについて瞑想することまでが含まれていた。風景の中に動物が入ってくれば、動物の生活について想像をめぐらせるのである。ダ・ヴィンチにはできなかったと思われる目に見えない世界で起こっていることについて瞑想しようとするとき、本書に詰まっている多くの事実がその助けとなるだろう。

近年研究が進んでいるテーマに共生の問題がある。地球上の生物のほとんどは、微生物との間に共生関係を結んでおり、我々の腸内微生物叢もその一つである。本来的にはこれらの微生物は他者であるため生体から排除されるはずだが、腸粘膜のマクロファージや樹状細胞はそれを「見ていない」。しかし実際には、微生物叢に生体は反応し、症状としては現れないものの「生理的な炎症」を誘導しているという。それが免疫システムを定常的に警戒状態あるいは反応準備状態に移行させ、免疫を強化する役割を担っていると考えられる。このような現象を見ると、生物の生存はほとんど目に見えない定常状態での活動にかかっていることがわかる。そしてそれを支えているのが、今では我々と分かちがたく歩むことになった他者であるという点も思索を刺激する。そこから、そもそもオーガニズムとは何を言うのかという問題も現れる。

最後に、我々の目には見えない広大な世界で展開している複雑ではあるが明確な論理性を持つ一つひとつのつながりに思いを馳せるとき、我々の思考や行動は変容していくだろう。本書とともにその時間を堪能していただけるとすれば幸いである。

2019年1月3日、トゥールにて

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