みすず書房

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『プロジェクトとパッション』

エンツォ・マーリ 田代かおる訳

昨年6月、長崎県美術館の企画展「エンツォ・マーリ100のプロジェクト」のオープニングのために来日、講演したエンツォ・マーリ。当日会場は全国各地からやってきた聴衆でいっぱいだった。
その大きな人は、コットンシャツに鳶職人のズボン、というオリジナルなスタイルで私たちの前に現れた。とりあえず私たちがイメージするイタリア人デザイナーの姿ではない。前方に用意されたスペースに立つと、しばし聴衆をまんべんなく見渡し、いきなり大きな声で語り始めた――。
「あるオランウータンの話をしましょう」。森でオランウータンの行動を観察していた研究者が、あるとき、一匹のオランウータンの奇妙な行動に気づく。そのオランウータンは、毎夕、就寝前の同じ時刻に、どこかに出かけていくのである。何をしているのだろう? ついにその居場所をつきとめた研究員が目にしたのは、小高い丘の上に二匹のオランウータンが並んで立ち、肩を寄せ合うようにして、沈む夕日を眺めている光景だった――「これこそ人生の最高の営みじゃないか!」

マーリの背中をデザインの道に押したものは、今日のデザイナーのそれとおそらく大きく異なっている。戦後間もない50年代、まだ「デザイン」という言葉、「デザイナー」という職業もなかった時代、「もの作り」には、大袈裟に言えば「市民の生活を支える道具、モノを作ることで、世界を変えることがきる」という夢、ユートピアへの指向性、イデオロギーが込められ、表現されていた。そのイデオロギーが「モダンデザイン」の系譜を導いていた。
当時のマーリにとって、社会を変える夢を託せる職業であれば、恐らくどんなものでもよかったのだろう。だが、マーリには〈かたち〉に向ける鋭い審美眼が備わっていた。それを見抜いたのが、当時すでにプロダクト工房「ダネーゼ」で優れたモノづくりの企画を進めていたブルーノ・ムナーリだった。二人の出会いについては、あまり多くを知ることができないが、弟子を作らず小さな仕事を好んだムナーリが、学生だったマーリをプロジェクトに呼び込んだ、ということは興味深い。

本書で、マーリは、さまざまな言い方で〈かたち〉の力、可能性を説いている。「優れたかたちは、別の新たなかたちを所有する欲求を縮小する力がある」「かたちはユートピアのアレゴリーである」「かたちは寡黙だ」「かたちのクオリティとは、研究に研究を重ねた知の「統合」から生み出される」…。「過剰」が社会の原動力となっている今日でも、「優れたプロジェクト」「優れたかたち」にはそれを鎮め、生活を回復させる力があることを、あるときは概念的な言葉を使って思想家のごとく、あるときは現実的な方法論を提示する企業家のごとく、その内面にあるすべてを使って、全身全霊で伝えようとしている。

講演の後、若者から「いま、マーリさんが僕の年齢だったら、どんな職業を選びますか?」という質問をされ「いまなら、政治家か、人里離れた土地で自給自足の生活をしている」と答えていた。近く、その慧眼で世界的に知られるキュレーター、ハンス・ウルリッヒ・オブリストとの対談本(この対談シリーズには、ウォルフガング・ティルマンズ、ザハ・ハディッド、そしてまるで一世代後のマーリのような、レム・コールハースがラインナップされている)が刊行される予定のようだ(Hans Ulrich Obrist & Enzo Mari: The Conversation Series, Walther Konig)。そこではきっと、格好の聞き手を得たマーリが、容赦なく熱く空想的な人間観を語っているに違いない、こちらの刊行も楽しみだ。


Foto: Cesare Colombo


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