みすず書房

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高橋悠治『きっかけの音楽』に寄せて

小沼純一

(音楽評論家の小沼純一氏に、このウェブサイトのためにエッセイをお寄せいただきました。)

高橋悠治さんの新しい本がでた。
『きっかけの音楽』という題名は、
シューベルトのピアノ曲からとられた。
楽興の時、と訳されるMoments Musicauxを、
そのもともとの意味へと遡って、日本語にしている。
ヴィーン子のシューベルトがわざわざフランス語を使って
あらわそうとした音楽のありようが、
日本語として、あらたな表情をして、ここにある。
音がつらなって紡がれる何がしか、
音楽、なるものは、
途切れてしまえばもうそこにはないし、
過ぎ去ったものになってしまう。
音楽があることがそれじたいできっかけである、
きっかけでしかありえない、
そんなふうに考えてみると、どうだろう。

悠治さんには何冊か本があり、
ひとつ前にでたのは何年か前、
2004年のこと。
それ以前はしばらく空きがある。
或る程度の間をおきながらもコンスタントに出版されたのは、
1970年代半ばから80年代にかけてだった。
今度の本は、90年代から現在までのものが中心になっているが、
終わりには70年代の文章も収められている。

70年代、何人かの作曲家は文章を少なからず書き、本になった。
武満徹『音、沈黙と測りあえるほどに』と林光『音楽の本』がともに1971年、
おなじ武満と林のそれぞれ『樹の鏡 草原の鏡』は1975年、『エンビ服とヒッピー風』1974年。
湯浅譲二『現代音楽・ときのとき』が1978年、
三善晃『遠方より無へ』、近藤譲『線の音楽』が1979年。
悠治さんの、最初の本『ことばをもって音をたちきれ』が1974年。
自分の生きている時代において、音楽をどう考えるか、
自分はどうするのか、ほかの人たちの活動をどう捉えるか、
作曲家たちは自らの音楽的実践とともに、言葉で表そうとしていた。
作曲家にそうした言葉の場を与える雑誌もあった。
しかし、
芸術における前衛の終焉が唱えられ、バブルの時期に価値の多様化がうたわれ、
いつしか作曲家の声に耳をかたむけることも、
作曲家が世界や社会においてどうすべきか問うこともなくなった。
第二次世界大戦「前」に生まれた作曲家は大家となり、
戦後に生まれた作曲家は、音楽が比較的身近にあるなかで育ち、
ことさらに音楽をするべき理由づけを求める必要などなくなっていた。
音楽はすでに、つねにそこに、規定値のようにして、ある。
いま、
作曲家のなかで、
そこそこ知られているひとなら日常的なエッセイやわかりやすい音楽をめぐる話を頼まれる。
多くの場合、
自分のつくっている音楽について、
舌足らずか妙に持ってまわった文章をつづるのがせいぜいだ。
そこには音楽が発生する場や、音と触れる心身の反応についてはおろか、
音楽以外のことどもと共有、分有しうるような問題意識もない。
芸術音楽の現在や未来についても、
「現代音楽」をかろうじて間借りさせてくれている「クラシック」の
危機的状況とも無縁であるかのようだ。

いわゆる「現代音楽」の、
世間一般が「現代音楽」とジャルゴンとして呼んでいる音楽の場所から、
悠治さんは、70年代後半から、身をはなしていった。
芸術、とか、芸術音楽、とかをあたりまえに口にできるところから、
音楽が規定値としてある社会のありようから、
距離をとった。
作曲家、ピアニストなのだから、音楽をやる、
しかし、
ただ、どこかから頼まれて曲を書き、ピアノを弾くのではなく、
音が音楽になるところ、や、音楽が音に戻り、消えてゆくところ、や、
ひとの手が楽器に触れて音を発するか発しないかのぎりぎりのところ、
からだのなかでおこる微妙な変化、をこそ感じとることに、
あるいは、
かならずしも大勢、マッスとして享受、消費されるのではない、
もっと視線のとどくところで触れられるようなところに
音楽を持っていくことに、
関心を移していった。

悠治さんは、とはいえ、そうしたあいだにも言葉とのつきあいをやめることはなかった。
つきあい、というのも奇妙な言い方だけれど、
検証とか、生と音楽と言葉とを往還する、などと言うと、
いささか大仰にすぎ、それはそれで取り逃がしてしまうことも多そうだ。
だから、とりあえず、つきあい、としておこう。
雑誌を発行し、ネット上で文章を書く。
音楽についてではなく、詩の同人誌もやっていた。
原稿用紙やノートに文字を書くのから、
キーボードを叩いてパソコンに入力することへ。
文章は少し変化するにしても、
言葉は悠治さんの前に、後ろに、
音楽というそれじたいのいとなみのところにも、
ある、
ありつづける。
作曲家の多くが、言葉で思考することを忘れたり放棄したり、
もともとそんなことをする知力もなかったりするのと、
悠治さんの言葉への姿勢は異なっている。
言葉は音楽そのもの、音楽作品にはなりえないかもしれない、
音楽をつくるなかで関与はできない、
異なりまた併行するのみの別のシステムかもしれないけれど、
そのシステムをまた思考するためにも言葉がいる。
いや、こうしてぼくが書いている言葉もまた、
そうしたことをかすりもしないのだろうけれども。

『きっかけの音楽』には、
いま、音楽があたりまえにあるなかで、
ほとんど誰も考えないし、
考えることが封鎖されてしまっているようなことどもについて
書いてある。
それを一言で、
高橋悠治が90年代から現在まで、
思考し、実践しようとしていること、
と言い換えてもまちがってはいないだろう。
でも、それを悠治さん個人のこととしてしまうには
読んでいて、あまりに、
そうか、そんなふうには考えていなかった、
そう考えることでこれまでみえてこなかったものがみえてくる、
というようなことどもが多い。
この本をプリズムにしてみると、
いまの音楽のありようが、社会が、違ってみえてくる。

いろいろな文章がある。
音楽をめぐる思考はもちろん、
亡くなった友人についてのことも、
自分が小さかったときのことも、
バッハやモーツァルトのこと、
ケージの本が翻訳されたことについても、だ。
どこからどう読んでもかまわない、
かまわないようにみえるし、
じっさい、そうなのだろう、
そうなのだろうけれども、しかし、
これらがそろうと、
ただ断片の集まりではない、
かたちははっきりしないけれども、
ひとつのはっきりとした批評であり、言葉の実践となっている。
文章の、というよりは、文字の配列、
句読点のあるなし、余白、も
それぞれの異なっているのは、
ただ「文体」というだけではない、
ひとつの、いや複数の効果、として読まれなければならないだろう。

巻末にある70年代の文章、
「ドビュッシー序論」は個人的におもいでがある。
この文章は当時「あんさんぶる」という雑誌に連載されていた。
気づいたときにはすでにもう何回目かで、
バックナンバーは店頭ではもう入手できなかった。
出版元に電話して、
学校の帰り、五反田だったろうか、
生まれてはじめて出版社なるところに足を踏みいれ、
バックナンバーを買ったのだった。
何十年ぶりかで読みかえして、
いくつかの文章の記憶がよみがえってくる。
とはいえ、
ほとんどわかっていなかった、
理解からとおくにあったことにあらためて気づく。
いま、それなら、前よりずっとわかったのかと問われると、
それほどでもない、とこたえざるをえないのだけれど。

小沼純一(音楽評論家・早稲田大学文学学術院教授)
copyright Konuma Junichi 2008




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