みすず書房

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武田珂代子『東京裁判における通訳』

ブースの中の東京裁判

武田珂代子


米国は「訴訟社会」だとよく言われる。米国で事業を展開する日本企業が特許侵害などの訴訟で当事者になることも珍しいことではない。そうした訴訟で日本語を話す証人が登場すると通訳者が必要となる。米国における訴訟通訳の特徴の一つは、通訳者の訳をチェックし必要なら訂正を入れる別の通訳者(チェッカー)が通常存在するということだ。通訳の正確さを追求するためだが、相手側が連れてくる通訳者の中立性を当事者同士が信用していないという背景もある。

翻訳・通訳研究の博士課程で勉強を始めたとき、論文のテーマにしたかったのはこの訴訟通訳における通訳者とチェッカーとの関係だった。速記録などのデータを入手するのに苦労していたところ、渡部富栄氏(大東文化大学)の修士論文『東京裁判通訳の研究』を読む機会を得た。東京裁判でもモニターや言語裁定官という通訳チェッカーが存在したことを知り、非常に興味を引かれた。
当初は、誤訳訂正の分類など言語面に集中する研究をするつもりだったが、米国立公文書館で様々な資料を見つけ、東京裁判で通訳者を務めた人々などへのインタビューを重ねる中で、東京裁判の通訳は同裁判の歴史的・政治的コンテクストや通訳作業に関わった人々の社会文化的な背景を無視しては語れないことを深く認識するようになった。特に、マニラの山下裁判における通訳の大問題を記す文書を発見したことや、日系人強制収容所から米陸軍に動員され情報活動に従事した二世の人々にインタビューできたことは、本研究の方向性を社会科学的なものにシフトさせるきっかけとなった。

東京裁判は複数の言語が使用された国際法廷であり、通訳なしには審理自体が成立しえなかったはずである。しかし、東京裁判における通訳についての本格的な研究は渡部論文の前にはなく、同裁判では「同時通訳が行われた」、あるいは「通訳をしたのは日系二世の将校」という誤った説明さえ存在した。その背景として注目すべきは、同裁判で働いた通訳者の中で、後にプロの通訳者になった例が皆無だったという点である。同時通訳の起源として知られるニュルンベルク裁判に関わった通訳者の多くは、その後、会議通訳者として国連などで活躍し、彼らのニュルンベルク体験は「通訳史における快挙」として語り継がれ、歴史に埋もれることはなかった。それとは対照的に、東京裁判における通訳者は外務省職員としての職務を全うする、あるいは、ジャーナリストなどとしての道を歩んだ。また自らの東京裁判経験談を公に語ることもほとんどなかった。
声なき人々に声を与えるのが研究者としての使命の一つだという考え方がある。日米間の過酷な戦争の中でそれぞれの苦難を乗り越え、その後、時代の要請に応じて東京裁判の通訳という歴史的に重要かつ極めて困難な仕事に果敢に取り組んだ人々。拙著『東京裁判における通訳』を通して彼らの声が多くの人々に届くことを願っている。

(『東京裁判における通訳』の刊行によせて、著者からのメッセージをお送りいただきました。)




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