みすず書房

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『ロラン・バルトの遺産』

マルティ/コンパニョン/ロジェ 石川美子・中地義和訳

ロラン・バルトが亡くなったのは1980年の春である。それから四半世紀以上が過ぎてから、なぜ彼の「遺産」を問い返すのだろう? そもそもバルトの残したもの――彼自身が書いたものや話したことだけでなく構想したこと――をどのように受け継ぐことが、バルトという「作家」にふさわしいのだろう?

フランスの書店で、バルトの著作が「哲学」の棚に分類されることは、まずないと言ってよい。それらの本は「文学批評」あるいは「言語学」の棚に並んでいることからも、バルトは、たとえばドゥルーズなど哲学者の仲間として扱われていないことがよくわかる。近年になってパリ12区にあるリヨン駅の裏に開通した「ロラン・バルト通り」の標札にも、生没年とともにその人物が何者であったかを記す通例にしたがって、「フランスの作家・記号学者」と書き添えられている。
1953年に出版された『零度のエクリチュール』によって気鋭の批評家として注目を浴びたバルトは、その後、記号論者としての位相を経て、ニーチェ読解をつうじて生まれた『テクストの快楽』以降は「わたし」への傾斜をつよめた。そして、最後の本となった『明るい部屋』にいたる晩年には、コレージュ・ド・フランスで「小説の準備」をテーマに講義をつづけていた。いったいバルトはどのような小説を書こうとしていたのだろう?
こうした「変化」について、バルトが亡くなってからさまざまな解釈や憶測がおこなわれたが、ほとんどは拡散するイメージの中で戸惑うものであった。その喧噪が鎮静してからようやく、晩年のバルトの若い友人として近くから彼を見守った三人の文学研究者が、師バルトが最終的にいたった地点についてそれぞれの個性に応じた方法で論じはじめた。それらを収める日本独自の論集が、『ロラン・バルトの遺産』である。

私生活におけるバルトのささやかな言動をやさしく思い返すエリック・マルティの断章的エッセイ、バルトの「小説」について犀利な分析をするアントワーヌ・コンパニョンの論文、トルコと日本への憧憬を通して文学の形式へのバルトの迷いを論じるフィリップ・ロジェの講演。どれをとっても、バルトの全著作とコレージュ・ド・フランス講義が刊行されて晩年の思考をたどれるようになった今だからこそ書くことができたテクストである。師バルトを直接に引き継いだ三人に導かれて、作家バルトの精神に触れていただきたい。




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