みすず書房

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B・ヘイズ『ベッドルームで群論を』

数学的思考の愉しみ方 冨永星訳

生物学の研究をしている先生が、こぼしていた。「いまでは、『セル』のような一流の専門誌に載せる論文は、一つの物語を頭から終わりまで描ききっていなければならないんです。一片の欠けもなく。」そのために、できるかぎり明快な物語の中に、すべてのデータやグラフをピタリとはめ込むのがセオリーになっているという──まるで、最初からそれ以外の物語はありえなかったみたいに。

それは科学の一番おもての顔で、一分の隙もなくめかしこんでいるだけにちょっと窮屈な顔だ。理系の本を開いて図やグラフを見ると、このグラフはしかじかの意味に読めますなどと、すぐそばにズバリ書いてある。でも実際に科学者が自分でデータを集めてグラフを描くときに、生まれたてのグラフには説明なんかついてない。科学者はそこに出現した名もない表やグラフや図形を見て、これはどんな意味なんだ、何を表わしているのか、何に使えるかしらんと、もっと自由に思い巡らすだろう。そのとき彼の頭の中にはいろんな物語が──他愛ないものや、くだらないもの、気宇壮大なものも含め──浮かんでは消えている。

『ベッドルームに群論を』に収録されているエッセイはどれも、数学や数理科学のツールをもてあそんだり、論文を読んだりしているときに湧いてくるあれこれの奔放なアイデアと、気の置けないダンスを踊ってみたという語り口だ。この本の中では数学や数理科学はただの道具になり下がっていると見る人もいるかもしれないけど、数理科学者はきっと、「データを前にしたそんな瞑想の時間が、じつはたまらなく愉しいんだけどね」と思っているんじゃないだろうか。

奔放なアイデアといっても相手が科学の素材の場合は、どんな軌跡でも自分勝手に描けるわけではなく、それこそがダンスの妙。たとえば本書中の一編に、戦争の統計的分布を調べたルイス・フライ・リチャードソンという人の話がある。彼は、軍備拡張競争がかえって戦争の主因になっているのではないかという仮説を立て、数百年分のデータから戦争の時間分布を調べてみた。その結果が、ポアソン分布──でたらめに分布する事象が示すパターン──になることを知ったとき、彼の頭にはどんなアイデアが巡っただろう。その結果を彼の仮説に無理やりあてはめることはできないし、科学者にとってそれは一番つまらないダンスの踊り方だ。
で、リチャードソンはどうしたか? 彼は次に、「トポロジーめいたアプローチを試みた」と著者はいう。「すなわち、国と国の距離を測るのではなく、境界を接しているかどうかだけを問題にしたのだ。そしてさらに、国と国の境界の長さを測ることによって、この概念をさらによいものにしようと、研究を続けた。──そしてそこから、実に魅力的な脱線がはじまったのである。……」戦争の時間分布から、空間分布へと角度を変えてみたのだ。

リチャードソンの研究からは、昨今の一流専門誌に載るような隙のない物語は出てこなかった。でも、リチャードソンの踊ったダンスは素敵だ。そこに敏感に共鳴して他者に伝えることもできる著者のセンスが、この本の魅力の核なのだろう。数学者や数学愛好家に支持されるのもわかる気がする。リチャードソンの研究についてのエッセイでは、読者は戦争の統計的分析に関する興味深い知識をかじりながら、科学者とアイデアの軽快なダンスを眺められる。『ベッドルームで群論を』に収められている12編のエッセイのすべてに、そんな趣向がほどこされている。




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