みすず書房

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『記憶の山荘■私の戦後史』

トニー・ジャット 森夏樹訳

白水社から刊行されたゼーバルトの『カンポ・サント』に付けられた、池澤夏樹氏による解説は素晴らしい。ほとんど同世代のゼーバルトと、もし汽車のなかで隣り合わせになっていたなら、どれほど話が進んだことだろうと夢想しながら、遠く離れた土地に生まれ育った二人の作家の共通の経験(旅、文学、その他)を分け与えてくれる書きぶりが、書物と読者の付き合いは、人との出会いに匹敵する、あるいはときにそれを越えるものであることを美しく明かしているからである。

彼らより少し後の1948年に生まれたトニー・ジャットの自伝的社会史『記憶の山荘■私の戦後史』もまた、読み進むうちに一人の人間とたしかに出会えたと思える一冊だと思う。昨年八月にジャットの訃報が伝えられ、十月に遺著となった『荒廃する世界のなかで』の邦訳刊行に際して、岩間陽子氏(政策研究大学院大学)は毎日新聞に、こう書いている。「二年前、『ヨーロッパ戦後史』(みすず書房)という二巻本を書評したとき、私はこのイギリス生まれでニューヨーク在住のユダヤ人歴史家について、通り一遍のことしか知らなかった。その頃、ジャットが死に至る病と闘っているなど、知る由もなかった。実際に彼は、この年九月に筋委縮性側索硬化症(ALS)という病の宣告を受けていた。」この病気は徳洲会の徳田虎雄氏がかかったことで日本でも知られている。「保釈なしの進行性投獄」とジャットはユーモアをこめて言うが、「ゆっくりと最小の不快の中で自分自身が崩壊していく破局的な過程」にありながら、頭だけははっきりしているのは辛いだろう。

身動き一つできない孤独な夜に、ジャットは羊を数えるのではなく、戦後という時代にぴったり重なる自らの人生を歴史家として思い起こそうと努めた。そのときヒントになったのは、ジョナサン・スペンス『記憶の宮殿』にある記憶術、ある建物の細部に記憶のそれぞれをあてがい、それを経めぐりながらの想起法だった。子供の頃に両親に連れて冬休みを過ごしたスイスの小さなホテル。その階段を、廊下の隅を、戸棚を…ゆっくりと思いだして経験をあてがっていく。こうして夜中になされる過去への散策を、昼間には口述して文章にしていったのだ。

ロンドンの町ッ子として育ち、高校中退しながらケンブリッジ大学に入学。イスラエルのキブツでの集団生活、パリのエリート校に給費留学、アメリカに渡って歴史学教授に。こうした略歴だけではわからない、トニー・ジャットの知的形成と人間性を味わえる本として、そして、今は失われてしまった戦後社会の「善きありよう」を知る機会として、これまでジャットの著作に親しまれた方はもちろん、初めてジャットを読む方にも、広くおすすめしたい。




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