みすず書房

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宮田恭子『ルチア・ジョイスを求めて』

ジョイス文学の背景

どの家庭にも不幸があって、それぞれが違うということであれば、ジョイス家の不幸の一つはルチアの存在であったろう。父親のジョイスは文学一筋で、それ以外のことはだいたい意に介さない。そして、娘はこの親にたいしてライヴァル意識をもって立ち向かう。どだい無理な勝負である。こうした親子関係のなかで、ルチアが統合失調症を病む。ジョイスは自分の嫌いなユングにも診察してもらうが、治療の甲斐もなかった。

彼女はバレエから始め、つぎはローランサンのもとで絵の修業につとめるがこれも挫折する。ジョイスはいつも所持していた『ケルズの書』にヒントを得てか、娘に装飾大文字の制作を勧める。ジョイス財団はなかなかうるさく写真撮影を許可しないので、本書には著者によるこの装飾大文字のスケッチが入っている。これを見れば、まんざら親の欲目とはいえないだろう。

バレエとリズム、絵画と音楽。ルチアの人生を辿ってみると、ロシア・バレエやカンディンスキー、ポリフォニーなど、20世紀芸術との平行関係が見てとれる。とりわけジョイスの『フィネガンズ・ウェイク』と『ケルズの書』とルチアの存在は重要な関わりをもっているように思われる。

天才ジョイスの陰で心の病いを病んだ女性の生涯を辿ることで、読者はジョイスの文学に底流する〈父親の情〉と現代文明の重要な側面を知ることができるだろう。




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