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『夕暮の緑の光』

野呂邦暢随筆選 《大人の本棚》 岡崎武志編

「人はみな銀行員に生まれつくのでも、作家に生まれつくのでもない。しかしせっぱつまったときペンを取りあげて、彼は、と書きだせばその人は作家でありうる、少くとも何分の一かの。なぜ書くかというサルトルやブランショの形而上的に壮大かつ精緻をきわめた分析に異議をさしはさむ気はないけれども、窮地に陥って書くという答は問いの一部を満たすことになるだろう。(……)
学生時代、“ブッデンブロークス”を読まなければ、田舎に居ついた疎開児童でなければ、原子爆弾の閃光を見なければ、郷里が爆心地に近くなければ私は書いていただろうか、やはり書いていたと思う。
外から来たこれらの事は私にものを書かせる一因になったとしても、他に言い難い何かがあり、それはごく些細な、例えば朝餉の席で陶器のかち合う響き、木漏れ陽の色、夕暮の緑の光、十一月の風の冷たさ、海の匂いと林檎の重さ、子供たちの鋭い叫び声などに、自分が全身的に動かされるのでなければ書きだしていなかったろう」
(「夕暮の緑の光」)

1980年5月に急逝した諫早の作家、野呂邦暢。上に掲げた文章は、1967年「文學界」に発表した文章で、今回刊行する随筆選の表題作でもあります。1965年に「ある男の故郷」で文學界新人賞佳作受賞、小説家として念願の一歩を踏み出した時期で年齢は30歳の頃。気負いからくるのか、少し硬さの感じられますが、その後の野呂文学を予感させる、詩情のにじむ文章です。

1974年に「草のつるぎ」で芥川賞を受賞、精力的に書き続けていた矢先の1980年5月7日、心筋梗塞で急逝。その突然の死は、多くの読者や出版関係者に衝撃を与えました。死の一週間前は、諫早から上京し、野呂邦暢の文学世界をこよなく愛し、ドラマ化に向けて奔走していた向田邦子らと六本木の中華料理屋で楽しく語らったばかりでした。この間のことは、野呂の伴走者であった元文藝春秋の編集者豊田健次氏の著書『それぞれの芥川賞 直木賞』(文春新書)に詳しく書かれています。

「夕刊でもとホームの売店で手をのばし、凍りついてしまった。芥川賞作家急死という見出しの横に、思いがけない人の写真があった。野呂邦暢氏である。(……)いきなり殴られた気がした。「諫早菖蒲日記」「落城記」。私は野呂氏の時代小説が大好きだった。お人柄も敬愛していた。楽しかった新緑の旅が、急に陽がかげったように思えた」。向田邦子は野呂の死を悼み、このように書きました。

その死から30年、野呂文学は静かに読み継がれ、2006年に小社から刊行した連作小説『愛についてのデッサン』も大変ご好評いただき、おかげさまで現在ほぼ完売状態となっています。編者の岡崎武志さんや地元諫早の皆さまをはじめ、野呂をこよなく愛する人たちの応援により完成した『夕暮の緑の光 野呂邦暢随筆選』。ぜひ多くの方に、静かだけれども激しい、そして優しい、野呂邦暢の真髄を味わっていただけたらと願っています。




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