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野呂邦暢『白桃』

野呂邦暢短篇選 《大人の本棚》 豊田健次編

1980年5月7日に42歳で急逝した長崎・諫早の作家野呂邦暢。昨年、代表作『諫早菖蒲日記』が梓書院(福岡市)から復刊、岡崎武志さんの編纂により小社から刊行した『夕暮の緑の光――野呂邦暢随筆選』が版を重ねるなど、没後30年を経て再評価の気運がますます高まっています。『夕暮の緑の光』をお読みくださった読者の方から、「もっと野呂さんの作品が読みたい」との声を多数いただき、このたび『白桃――野呂邦暢短篇選』を刊行いたしました。
編者は、長年文藝春秋で名編集者として活躍され、野呂邦暢の「処女作〔「壁の絵」〕、デビュー作〔「鳥たちの河口」〕、話題作〔「草のつるぎ」〕、代表作〔「諫早菖蒲日記」〕」のすべてを手がけた豊田健次さんです。
豊田さんの選により、「白桃」「鳥たちの河口」など短篇の代表作に加え、長崎で育った野呂邦暢が生涯のテーマとして抱きつづけた原爆について、1945年8月9日その日のことを真正面から描ききった作品「藁と火」を収録しました。

野呂邦暢は諫早市に疎開し難を逃れましたが、同級生の多くは原爆の犠牲になったと推察されています。その日のことを随筆「ある夏の日」で次のように書いています。

その日、私は長崎の北東二十四キロの所にある諫早にいた。小学二年生であった。私が長崎から諫早へ疎開して五カ月たっていた。蝉とりか川遊びに行く途中であったと思う。ふいに町並みが異様な光の下で色を変えた。顔を上げると正面に白い光球が浮かんでいた。天空にもう一つの太陽が現れたかのようであった。どす黒い煙の上で、太陽は黄色い円盤にすぎなくなった。煙の下に火で縁取られた山の稜線が見えた。壮大な夕焼けが広がった。夕焼けは夜も消えなかった。

一つの都市というよりも一つの帝国がそのとき炎上していたのである。私は血の色に染まった西南の空をただ呆然とみつめる他はなかった。物を見るにもいろいろな見方があるというが、そのなかには何事もなす術がなく、何も考えずに目をみはってみつめる、という見方もあるようである。

楠本、村上、熊谷、長門、というのは、長崎市の銭座小学校で一年間、机を並べた級友である。私はいまだに彼らの消息を聞かない。学校に問い合わせてみたところ、被爆時に学籍簿も焼けたから行方をたずねるすべがないということだった。新聞を通じて調べてみたが、今もって応答のないところをみれば、全員災厄をまぬがれなかったわけだ。あの日を境に彼らは死に、私は残った。私の人生も三十七年になろうとするが、とりたてて語るに足りない平凡な生活である。私の幼い級友たちも生きていたら、しかし平凡な生活のもたらす歓びを味わうことはできたはずであった。
(「ある夏の日」1974年8月7日「朝日新聞」掲載、
『夕暮の緑の光――野呂邦暢随筆選』所収)

作家として立つ者であるからには、このことは必ず書かなくてはならない――。「藁と火」からは、作家・野呂邦暢の気魄がストレートに伝わってきます。
「白桃」「歩哨」「十一月」「水晶」「藁と火」「鳥たちの河口」「花火」の七篇をおさめる『白桃――野呂邦暢短篇選』。深く内省的でありつつ、外に向かって大きくひらかれた、野呂邦暢の精神が感じられる一冊になりました。

◆第31回 菖蒲忌

長崎県諫早市では毎年、5月の最終日曜日に、郷土ゆかりの芥川賞作家・野呂邦暢をしのぶ「菖蒲忌」がひらかれます。会場は上山公園内の野呂邦暢文学碑前で、今年第31回を数えます。
http://www.city.isahaya.nagasaki.jp/kanko/seasons/05/s05_shoubu.htm




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