みすず書房

レフ・マノヴィッチ『ニューメディアの言語』

デジタル時代のアート、デザイン、映画  堀潤之訳

2013.09.12

堀潤之
(「訳者あとがき」より)

本書の著者レフ・マノヴィッチは、ニューメディアの理論家・批評家・アーティストであり、1996年から2012年までカリフォルニア大学サンディエゴ校の視覚芸術学科で教鞭を執っていたが、2013年からはニューヨーク市立大学大学院センターに研究・教育の拠点を移している。また、2007年にソフトウェア・スタディーズ・イニシアティヴという研究所を設立し、現在もその所長としてコンピュータを活用した文化的データの分析を精力的に推進している。

彼の名を一躍高らしめたのは、2001年に上梓された本書『ニューメディアの言語』にほかならない。周知のように、20世紀末のおよそ20年間、とりわけ1990年代には、文化のあらゆる局面におけるデジタル化が急速に進行し、またコンピュータをはじめとする各種デジタル機器やインターネットが爆発的に普及した。そのような激動の時期を経た1990年代末の段階におけるいわゆる「ニューメディア」の美学的な諸相を、その新しさをむやみに喧伝することなく冷静に、かつ広範囲にわたって体系的・総括的に論じた本書は、ただちに称賛をもって迎えられた。「この主題についての最初の厳密にして遠大な理論化」(ケイト・モンドロック)、「次世代のメディア制作者たちにとっての最初の教科書」(ショーン・キュービット)、さらには「本書は新しいデジタル・メディアのこれまでで最も厳密な定義を提示するとともに、それが注意を向ける対象〔ニューメディア〕をマーシャル・マクルーハンのメディア史以来、最も示唆的で広範囲にわたるメディア史のうちに位置づけている」(ウィリアム・B・ワーナー)といったメディア研究者たちの評言からも、刊行時に本書がもたらした絶大なインパクトがうかがえる。それから10年以上の年月が経った現在でもなお、『ニューメディアの言語』はデジタル時代の文化と芸術を論じる際の欠かせない参考文献であり続けている。その意味で、本書はすでに「21世紀の古典」の位置を占めていると言っても過言ではないだろう。

本書は「ニューメディア」の体験をボトムアップ式にたどる明快な構成を取っている。第1章で「デジタル媒体」の存在論とも言うべき、ニューメディアの諸原則を列挙したあと、続く各章では、デジタルデータを人間にとって了解可能なものとする「インターフェース」(第2章)、インターフェースを介在させることではじめて可能となる選択、合成などの「オペレーション」(第3章)、そうしたオペレーションを通じて出現するデジタル画像の外観という意味での「イリュージョン」(第4章)、そして「データベース」と「航行可能な空間」というデジタル・メディア特有のより高次の「フォーム」(第5章)が論じられる。最終章「映画とは何か?」では、「オールドメディア」である映画に改めて目を向けて、CGをふんだんに使ったデジタル時代の映画の新しいアイデンティティが解明されるとともに――「デジタル映画とは、多くの要素の一つとしてライヴ・アクションのフッテージを用いる、アニメーションの特殊なケースである」という定義はとりわけよく知られているだろう――、来たるべき映画言語の可能性が追究されている。

訳者がマノヴィッチの名前を知ったのは、2001年春、『ニューメディアの言語』刊行直後の頃だったと記憶している。映画研究者である訳者がこの本に興味を持ったのは、直接的にはそこで「デジタル映画」をめぐる議論がなされていたからだが、当時の日本で、勃興する電子情報社会におけるアートとテクノロジーをめぐる密度の濃い議論が盛んに行われていたという文脈も大きい。その中心になっていたのは、1990年から準備され、1997年に初台に開館したNTTインターコミュニケーション・センター(ICC)であり、ICCが1992年から刊行していた『季刊InterCommunication』であり(2008年に65号で終刊)、メディア論の新しい動向を積極的にフォローしていたNTT出版だった。さらに個人的な事情を記せば、訳者はそれに先立つ1990年前後の数年間、まだWindowsもなかったMS-DOSの時代に、アセンブリ言語によるコンピュータ・プログラミングを趣味としており、とりわけ擬似マルチタスクを可能とする常駐型プログラム(TSR)を作っては、『I/O』というコンピュータ雑誌に掲載してもらっていた。そういうわけで、映画を研究するようになる以前からコンピュータ・テクノロジーには強い関心を抱いていたのである。コンピュータ計算とメディア・テクノロジーの合流点にニューメディアを据えるマノヴィッチの議論をたどることは、訳者にとっては、新旧の2つの関心領域を「合成」するような体験であった。

(訳者のご同意を得て抜粋掲載しています)
copyright Hori Junji 2013