みすず書房

M・J・S・ラドウィック『化石の意味』

古生物学史挿話  菅谷暁・風間敏訳

2013.09.12

古来、人々は化石をどのようなものと捉えてきたか。原著1972年の初版以来、読み継がれてきた古生物学史・地質学史の名著。
「本書ほど、広い視野と鋭い分析と魅力的な文章をあわせもつ著作には、なかなか出会えないのではないだろうか」。巻末の「訳者あとがき」より抜粋してご紹介します。

「訳者あとがき」より

菅谷暁

本訳書の原著は初版がいまから40年以上も前の1972年に刊行された(第二版は1976年の出版だが、内容にかかわる大きな異同は生じていない)。1970年代初頭に身を置いてみると、古生物学や地質学の歴史を書こうとする者にとって状況は決して恵まれたものではなかった。なによりも「地球科学の歴史の研究は、たとえば物理学や宇宙論の歴史に比べれば、全体としてはまだ初期の段階に」あったからである。

その頃はツィッテルの『地質学と古生物学の歴史』、ギーキーの『地質学の創始者たち』、アダムズの『地質科学の誕生と発展』が三大概説書とされていたが(1970年代においてさえ、三作とも刊行からすでにかなりの年月を経ていた)、ラドウィックによればツィッテルのものは「徹底的な資料収集がなされているが、歴史的解釈はほとんどない」。

アダムズはヴェルナー以前の、すなわち実証的知識ではなく想像力にのみもとづいた(とアダムズの考える)バーネットやビュフォンの著作に関し「それらは大衆の喜びのための〈不思議物語〉wonder storiesである」と述べ、続けて「このような初期の寓話は、精神の気晴らしを必要とし、そのための余暇と多少のユーモアの感覚をもちあわせているすべての人々に読まれるべきである」と記していた。ラドウィックによれば地質学史へのこのような向きあい方は「[19世紀以前の地質学の歴史が]些末なものであることを認めて自己の題材を侮辱する」に等しかった。

ギーキーの記述も「科学とは人間の知識を、蒙昧主義的な態度の足柳から解放するための、啓発された知性の前進的な闘争であった。そして一般に過去の名士は、〈正しかった〉者とその意見が〈誤っていた〉者とに区分できる」といういわゆる「ホイッグ史観」に貫かれていた。ラドウィックの厳しい言葉によれば「こんにちの科学史家にとって、この種の歴史記述はもはや鞭打つ価値のない死馬である」。
(……)
本書が「従来の歴史記述」に対する批判・修正の書としてのみ読まれることは訳者の本意ではない。そのように遇することは、本書をあまりにも矮小化してしまうと感じられるからである。従来の古生物学史の著作に不満を覚えたため、それらとは異なる歴史を語りたいという思いがはじめ著者にあったことは間違いないが、完成したものは他者の批判・修正というレベルをはるかに超えた、豊穣な内容をもつ作品であった。

本書刊行以後、著者のいう「従来の歴史記述」とは一線を画した多くの古生物学・地質学史関連の著作が登場したし(そのうちのいくつかは「文献案内」に掲げておいた)、これからも1970年代当時の「通説」などとは無縁の若い世代によって、多くの研究書が書かれるであろう。だが本書ほど、広い視野と鋭い分析と魅力的な文章をあわせもつ著作には、なかなか出会えないのではないだろうか。

本書の最後の節には次のような一文が置かれていた。「古生物学がその視野において非歴史的になってはならないのは……歴史的視点の喪失は概念の貧困に行き着くだろうからである」。これこそ古生物学史のみならず、科学史そのものの存在理由を開示する言説であり、古生物学者から転じた科学史家である著者の強い信念であり、本書を執筆する上での確たる根拠であったと思われるのである。

(訳者のご同意を得て抜粋掲載しています)
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