みすず書房

石川美子『青のパティニール 最初の風景画家』

2014.12.25

「このパティニールって、画家の名前なんですね、ぜんぜん知らなかった。パティシエやポルティーニなら聞いたことありますが」
「なんだい、お菓子やキノコじゃあるまいし。まあ無理もないさ。何百年も忘れられていたのがよみがえったといっても、ようやく美術の専門家の口の端にのぼりだしたところだからな」
「そんな画家についての本がどうして出るんですか」
「理由はこの本を読んでもらえれば書いてある」
「そんなこと言わないで、かいつまんで教えてくださいよ」

「なら簡単に説明しようか。スペインのマドリッドにプラド美術館がある。そこで2007年に初めて大きな『パティニール』展が催されたんだ。美術館は、展覧会の準備のようすを記録した映画も制作した(冒頭だけならyoutubeで見られるよ)。その映画を見た著者はすっかりパティニールの絵に魅了されてしまう。『旅のエクリチュール』(白水社)という本も書いていて、以前から文学における〈風景〉のテーマに着目していた著者にとって、デューラーが〈よき風景画家〉と呼んだパティニールが気にならないはずはない。しかしこの〈最初の風景画家〉の生涯や時代を思い描くためには、残された絵を見るだけでなく、ずいぶんいろんな資料を読み込む必要があったことだろう」
「研究者であれば当然の責務でしょう」
「あはは、何をえらそうに、他人事だと思って。たしかに学問は調べごとから始まる。しかし調べただけで本は書けないよ。論文と書物のちがいはそこにあると言ってもいい。研究の成果をいかにしてエッセイのように伝えるかに著者は苦心したらしい」
「ていうと、学術書によくある隠語だらけの本ではないんですか」
「ああ、かなりちがうよ。パティニールの絵との出会いを印象的に語るプロローグから始まって、本文ではまずパティニールの作品はいくつ残されていてどれなのかという謎解きがおこなわれる。まるでミステリーだ」
「それで、いくつ残されてるんです」
「勘定にちょいと手間がかかるが、この本によれば本人が描いたと信じられるのは十数点というところか」
「へえ、そんなに少ないんですか。なかなか日本では見られませんね」
「数の問題ではなく、貴重な宝物だし、油絵具で板に描かれた作品だから移動にともなう温度や湿度の変化に耐えられない。ヨーロッパの町に旅行したときに見るしかないな。でもこの本にはパティニールの全作品がカラーで複製されているし部分図も入っている。オンラインで見られる作品もいろいろあるよ、ほら」
「おや、きれいですね。それに、ほんと細かいや。どうやって描いたんだろ。虫眼鏡でものぞきながらですかね」
「どうだい、驚いたろう。表紙にある河や町や木は、大きな絵のほんの一部分で、これがほぼ原寸大なんだぞ。昔の画家というのは工房をかまえて大勢の弟子と注文の絵を生産するのがふつうだったのに、どうやらこの画家は一人で小さな小さな風景を描くのが性分に合っていたのではないかと書いてある」
「ふうん、変わり者ですね。どんな人だったんですか」
「それがまた皆目わからない。わからないから、パティニールを主人公にした想像の小説まである。もしかすると文学者の心に響く絵なのかもしれないな。ユイスマンスという作家の『彼方』には、当時は自宅にあって今ではルーヴル美術館にあるパティニールの絵が出てくるし、シルヴィー・ジェルマンという小説家にもこの画家の作品に寄せたエッセイがある。それにこの本には〈風景〉をほとんど初めて書き留めたモンテーニュやラブレーも登場するよ。たんなる美術史研究とは趣が異なる本ではないかな」

「なるほど、ならば日本でも文学好きの関心をひきますかね」
「ぜひそうあって欲しいもんだね。十年一昔というだろう、それでいうなら四昔か五昔ほど前の日本には、作家が書いた美術の本が本屋にいろいろあった。文芸誌や芸術新潮などに連載されたエッセイが一巻にまとまって、小林秀雄『近代絵画』とか、福永武彦『ゴーギャンの世界』とか。その頃は美術史学者のほうも、たとえば土方定一『ブリューゲル』のように一般向けの本を書いていたね。文学と絵画は近かったのさ」
「最近きらわれてる、例の教養ってやつですか」
「それが違うんだなあ。教養とかウンチクとかではなく、小説を読むように絵を眺めて的確な言葉であらわすと、その言葉が本を読む人の頭と心に伝わって喜びをもたらしたんだ。思いの外に大勢の読者がいたはずだよ、きっと」
「いまだって村田喜代子さんとか原田マハさんとかいるじゃないですか」
「おや、たしかにそうだ。この五十年で変わったのはむしろ、文化を担う比重が女性のほうにぐっと動いたことかもしれないな。さあ、もう一杯飲もうか」
「では、パルティータに乾杯」
「パティニール、だっていうのに」

  • [カバー絵]
    パティニール《聖ヒエロニムスのいる風景》(プラド美術館蔵) 部分