みすず書房

石川達夫『プラハのバロック』

受難と復活のドラマ

2015.03.11

世界遺産の街、プラハを訪れる観光客の目を楽しませる様々な様式の建築。ゴシック、バロック、ネオ・ルネサンス、アール・ヌーヴォーにキュービズム……中でもとくに目を惹くのは、ゴシックとならんで街にあふれるバロックの遺産だろう。社会主義時代が終結するまで、顧みられることなく、朽ち果て、失われんとしていたバロック時代の建造物や彫刻も、近年修復がどんどん進み、外装の化粧直しの終わった教会や宮殿はまばゆい輝きを放っている。
プラハ・バロックはどのような性格を持ったもので、どのくらいの遺産がのこされているのか。どのように理解し、評価すべきか――チェコ国内でも十分な研究は始まったばかりのプラハのバロックについて、日本語で書かれたはじめての研究書が本書である。

著者は、『マサリクとチェコの精神』(サントリー学芸賞・木村彰一賞ダブル受賞)をはじめとする著作や、日本でも多くの愛読者をもつカレル・チャペック、チェコを代表する哲学者ヤン・パトチカなどの翻訳を数多く手がけ、長年にわたりチェコと民族の〈精神〉を追ってきた。たんに建築や彫刻、美術を展覧するのではない、著者ならではの視点に導かれて、プラハの街を実際にさまよい、時代をさかのぼるような、不思議な魅力にあふれた案内の書でもある。

複雑で困難の多い、劇的な歴史を背負ったチェコ。戦禍による徹底的な荒廃の中に生まれ、復興への祈りを作品の中に刻みつけたバロック的メンタリティー――それは、21世紀の日本に生きる私たちとは無縁の、遠い国・遠い時代のものといえるだろうか。

「ありえないような大惨事と苦難に襲われたとき、人はそれをいかに受けとめ、そこからいかに立ち直ろうとするのか――」
「芸術作品の解釈においては、それが作られた時代よりも後に起こった様々な出来事、作者のではない受容者自身の様々な経験に伴う想いを投影してしまうであろうし、それをまったく排除することはできないであろう。芸術作品のあらゆる解釈は、そもそもそのような性格を持っているのであり、作者から独立した芸術作品は、そのような投影を糧としつつ時代を超えて生き続けるとさえ言えるのではなかろうか?」
(本書より)

私たちが直接に、あるいは擬似的にまさに「自分のもの」として感じた思い――それまで確かなものと信じていた自分の足下が揺れ動くような根源的な不安、不確実性の感覚、そして確実性への希求――が重ねられるとき、石に、画布の上にあらわされたものの中に通う血のようなものが、こちらに迫ってくる。闇と光、ドラマ、幻、迷宮、越境、伝説……本書でしか見ることのできない貴重な写真を含む図版219葉に、特製地図を付す。