みすず書房

「現代の監視が身体の内奥へと向けられ…」(高野麻子「あとがき」)

高野麻子『指紋と近代――移動する身体の管理と統治の技法』

2016.03.10

〈博士課程に進学し、指紋という指先の微細な紋様を研究テーマに選んでから約10年がたつ。この間に指紋を含む生体認証技術は、ときに個人のセキュリティを守る鍵として、また「善良な人びと」の生活を脅かす「悪」を探し出す道具として、日常生活のあらゆる場面に浸透した。

最近でも、2015年11月にパリ同時多発テロが起きた直後、実行犯の遺体の身元確認には指紋が用いられ、そのなかでも難民を装い入国したとされる人物は、ギリシャへの入国時に登録された指紋からその身元が明らかになったと報道された。日本においても、2016年1月から本格的に始動するマイナンバー制度では、個人番号カードに貼付する顔写真をデータ化して、顔認証システムを構築する計画が進行している。日本政府は2020年の東京オリンピックの際に、生体情報を用いてオリンピック会場の入館規制ができる体制を目指しているようである。いまや生体認証技術を導入することは、「安全・安心」で「便利」な世界を実現するために、社会が選択すべき「健全な」態度であるかのようだ。

そもそも、私が指紋に関心を持つきっかけになったのは、2001年9月11日のアメリカ同時多発テロであった。当時学部生だった私は、あの出来事を境に世界中で監視が強化されるだけでなく、監視の是非が「セキュリティの確保」と「プライバシーの侵害」という二項対立的な論点では語れなくなる状況を目の当たりにした。テロ対策のための監視に反対する者は、なにかやましいことがあるのではないかと疑いの眼差しを向けられるようになった。監視をめぐるこれまでの議論は、セキュリティ確保の言説の前にその対抗軸を失った。時代の転換点に立ちながら、その変容を捉えることができないことへの虚しさと、テクノロジーを介して「見られる」ことに、驚くほど短期間で慣れていく自分自身に対する危機感が募っていった。そこで大学院に進学し、修士課程では、監視社会を正当化させる「安全・安心」の内実を問うことを研究テーマに選んだ。

その後、博士課程に進学すると、監視社会の特徴はしだいに監視カメラによる空間の監視から生体認証技術による身体の監視へと移行していった。2006年、日本政府はアメリカに追従するかたちで外国人の入国審査に指紋登録を導入する決定をした。個別の場面で収集された複数のデータが結合することで導き出された判断が、生体認証技術を介して個人の身体へと帰着する。現代の監視が身体の内奥へと向けられていくとき、自分を構成するあらゆる要素はどのような事態に曝され、生身の人間は何を経験するのだろうか。こうした問いを明らかにすることで、監視社会が抱える課題を見つけ出せるのではないかと考えた〉(高野麻子「あとがき」より)

このような問題意識にもとづき、指紋法の発生から、満洲国で精緻化された実態、その経験にもとづいて戦後日本で展開された県民指紋登録、そして現在までを丹念に追った本書は、実証と思想がみごとに結びついた、著者のデビュー作になった。