みすず書房

『中井久夫集 7 災害と日本人 1998-2002』 最相葉月「解説 7」より

[第7回配本・全11巻]

2018.07.10

『中井久夫集』には全巻、最相葉月による「解説」がつきます。
中井久夫と河合隼雄に焦点をあてた『セラピスト』(新潮社)でも知られるすぐれたノンフィクションライターの手になる解説は、中井久夫の人と仕事の背景を時間軸にそって詳細かつスピーディに解き明かし見事です。

解説 7

最相葉月

1997年3月に神戸大学を退官した中井久夫は、翌4月、カウンセリングセンターが新設されたばかりの甲南大学文学部人間学科に特任教授として招かれた。終戦後初の尋常科新入生として六年間を過ごし、文学の素地を形成した六甲南麓の学び舎、甲南学園への、約半世紀ぶりの帰還となった。〔…〕
中井のゼミには、臨床心理士養成コースの学生や、中井の指導を請うて病院から社会人入学した学生などが集まった。1990年代後半から2000年始めにかけて、カウンセリングセンターに寄せられる相談には、統合失調症や双極性障害といった明らかに精神医学的な診断がつく症例は減り、漠然と不調を訴えて自分が何に苦しんでいるのかを言葉で表現できない曖昧なケースが増えていた。対人関係がうまくいかず、いきなり行動化する。リストカットや過食嘔吐、ひきこもりなどの言葉がメディアでも採り上げられるようになり、特別支援を必要とする発達障害やその傾向をもつ人々が増えつつあった。中井がクライエントのカウンセリングを直接受け持つことはなかったが、臨床心理士らから情報を得て、相談があれば意見を述べた。〔…〕

甲南大学で教鞭をとっていたこの時期、中井に求められる原稿の多くは阪神・淡路大震災に関するものだった。本巻の表題にもなった「災害と日本人」は、1997年10月に神戸で開催された国際シンポジウム「災害とトラウマ――長期的影響とケアの方向性」を骨子として編まれた『災害とトラウマ』(1999・みすず書房)に収録されたものである。〔…〕
PTSDの概念は1970年代、ベトナム戦争帰還兵とレイプ被害者によって生まれ、洗練されてきたが、日本で表面化したきっかけが阪神・淡路大震災と、その二か月後に発生した地下鉄サリン事件であった。心の傷は一人耐えしのぶものという“日本人の美徳”という軛(くびき)を脱する転換点となった。
中井はここで、伊勢湾台風(1959)で大きな被害を受けた中部地方からの義援金が際立っていたことを報告しているが、東日本大震災における台湾からの巨額支援や、熊本地震への東北からの支援を思う時、それらは心の傷という連帯感の働きであったのだと気づかされる。戦後七十年以上経ってようやく、太平洋戦争における日本兵のトラウマ(中村江里・2017、など)や沖縄戦を経験した高齢者の心の傷に光を当てた調査研究(沖縄戦トラウマ研究会・2013、など)も発表されるようになった。震災後に急速に進んだPTSD研究と心の傷への社会的な理解の高まりを前提に、改めてこの国の戦争トラウマを省みれば、軍用機が頭上を飛び回り、墜落事故や暴行事件の頻発する沖縄にあって、人々が何に苦しんでいるのか想像力をたくましくする必要があるだろう。
一方、中井が「トラウマと治療経験」で注意深く言い添えるとおり、「被害者の側に立つこと、被害者との同一視は、私たちの荷を軽くしてくれ、私たちの加害者的側面を一時忘れさせ、私たちを正義の側に立たせてくれる。それは、たとえば、過去の戦争における加害者としての日本の人間であるという事実の忘却」であり、「表面的な、利用されやすい庶民的正義感のはけ口に終わるおそれがある」。「なさざるの悪を今も犯していないか」(「災害と日本人」)という問いかけは、激しく移り変わる現代のアジア情勢を前に、今いっそう重く響いている。〔…〕

(copyright Saisho Hazuki 2018)

中井久夫集7『災害と日本人』(みすず書房)カバー