みすず書房

グロスマンはトレブリンカ絶滅収容所の解放に立ち会い、克明に報じた

『トレブリンカの地獄 ワシーリー・グロスマン前期作品集』 赤尾光春・中村唯史訳

2017.05.29

グロスマンは赤軍記者として独ソ戦中の大半を前線で過ごした。とりわけスターリングラード攻防戦を戦う兵士たちの姿や声に肉薄して伝える彼の記事は、ソ連全土で愛読された。
1944年8月、グロスマンは、赤軍がベルリンをめざして進軍する途上でナチのトレブリンカ絶滅収容所の解放に立ち会い、生存者や近隣住民から聞き込み調査を行って克明に報じた。この「トレブリンカの地獄」は、ホロコーストにかんする最初期の記事のひとつであり、証言としてニュルンベルク裁判にも提出された。

移送列車で収容所に到着したユダヤ人に対し、SSの分隊指揮官がシャワー室と偽ってガス室へと誘導する場面。

  • 「女子供はバラックの入り口で履物を脱げ。ストッキングは靴の中へ。子供の靴下は子供のサンダルと靴の中へ。きちんと整理しろ」
  • 「浴場には貴重品、身分証、金銭、タオル、石鹸を持参しろ……」
  • 女性用バラックには床屋がいる。裸の女性たちをバリカンで刈り、老婆からかつらを取る。奇妙な心理的瞬間である。床屋たちの証言によれば、この死の散髪は、他の何ものにもまして、これから浴場に連れて行かれることを女性たちに確信させたという。少女たちは頭髪に触れながら、「このあたりにムラがあるわ、すっかり刈ってちょうだい!」と頼むこともあった。多くの場合、散髪が済むと女性たちは落ち着いた。…若い女性の中には、美しいお下げ髪を惜しんで泣く者もいた。なんのために女性たちを散髪したのか? 彼女たちを欺くためか? そうではない。これらの髪は、ドイツの要請で必要とされたのである。原料として……。

トレブリンカで最期の瞬間まで、人間の魂を保った人びとについて。

  • トレブリンカで人びとが最期の瞬間まで人間の姿形でなく人間の魂をいかにして保ったかについての物語は、魂の根底まで揺さぶり、睡眠と安息を奪う!
  • わが子を救おうとして絶望の果てに偉大な自己犠牲に及んだ女性たちや、乳飲み子を隠そうとして毛布の山に埋め、わが身で覆った若い母親たちについての物語。こうした母親たちの名は誰も知らず、もはや永遠に知られることはないだろう。
  • 自動小銃と手榴弾で武装したSS隊員の大群と戦って、何十発もの銃弾で胸を撃ち抜かれ、立ったまま非業の死を遂げた何十人もの死刑囚についての物語。ナイフでSS士官を突き刺した若者や、蜂起後のワルシャワ・ゲットーから連行され、手榴弾をドイツ人から隠しおおせた少年──彼は裸にさせられた時、それを一群の死刑執行人に向けて投げつけた──についての物語。
  • 死刑囚の蜂起グループとSSの看守隊との間で夜通し続いた戦闘についての物語。銃声、爆音、手榴弾の炸裂音は朝まで鳴り響いた。太陽が昇ると、広場一帯は戦士らの遺体で覆われ、一人一人の傍らに柵からもぎ取った棍棒、ナイフ、カミソリなどの武器が転がっていた。
  • 「帰還なき道」で看守からカービン銃を奪い、何十人ものSS隊員に撃たれながら闘った背の高い少女についての物語。…彼女の名を知る者はおらず、その名を追悼する者もいない。
  • (「トレブリンカの地獄」より)
  • *     *     *
  • 「絶望的な状況というものはない。
    息をしているかぎり、最後まで闘え。」
  • (本書収載の小説「生」1943年より)

独ソ戦下のドン河流域で、赤軍の小部隊がドイツ軍に包囲された。
赤軍兵士らは炭鉱の地下70mの坑道に立てこもった。ドイツ軍は降伏させるために、集落の女たち数名と老坑夫ひとりを使者に立てる。降伏しない場合は、村の女子供全員を銃殺すると。
赤軍兵士たちは説得に応じない。女たちは地上に戻り、ドイツ軍は坑を爆破して撤退する。坑道は埋まり、わずか9人になった兵士たちは飢えに苦しみ、隊に残るすべてのパンとジャガイモを等分に分けた……。
ここで兵士たちは「わが国の人間は立派に死ぬことができる」と言って殉死するのかという流れであった。ところが突然、指揮官の大尉が言う。
「われわれは脱出する!」
彼らは暗闇と飢えのなかで、岩盤を除去し、ハーケンを打ち込み、上へ上へと上って、絶望的な状況から出口をめざした――。

グロスマンの作品には、人間の自由や優しさや善良さがくり返し現れる。
登場人物たちはたとえ非人間的なシステムや運命に押しつぶされるとも、最後の瞬間まで、内からか外からか、彼らに光の射す可能性が消えることがない。そういう存在として、グロスマンは人間を描く。
『人生と運命』(全三巻)『トレブリンカの地獄 ワシーリー・グロスマン前期作品集』『システィーナの聖母 ワシーリー・グロスマン後期作品集』、最後の作品『万物は流転する』――作品群をたどりつつ、一番感じたことであった。