みすず書房

『中井久夫集 8 統合失調症とトラウマ 2002-2004』 最相葉月「解説 8」より

[第8回配本・全11巻]

2018.10.10

『中井久夫集』には全巻、最相葉月による「解説」がつきます。
中井久夫と河合隼雄に焦点をあてた『セラピスト』(新潮社)でも知られるすぐれたノンフィクションライターの手になる解説は、中井久夫の人と仕事の背景を時間軸にそって詳細かつスピーディに解き明かし見事です。

解説 8

最相葉月

兵庫県の南東部に位置し、空港のある場所として知られる伊丹市は、江戸時代、京から西方へ向かう西国街道の宿場町として賑わい栄えた商人の町だった。市の北部にある鴻池は日本の清酒発祥の地として知られ、領主近衛家の庇護のもと、伊丹酒は将軍の御膳酒に用いられるほどの高級品として名を馳せた。当時、伊丹樽は南北に流れる猪名川に架かる軍行橋のあたりから船積みされ、尼崎から江戸に運ばれたという。はるか昔には現在のJR伊丹駅付近まで海だったことから、昭和12年に宝塚市小林から伊丹市鈴原町に移り住んだ中井久夫は、幼い頃、土を掘ると化石になった貝がよく出てきたと回想している。

京都大学入学後まもなく結核を患い、宇治分校の学生診療所に通っていた頃に知り合った村澤貞夫が晩年を過ごしたのも、この伊丹である。村澤とその妻の喜代子は、中井が生涯もっとも心を許し、親しく付き合ってきた夫婦だった。

三人の蜜月といえるのが、弔辞「村澤貞夫を送る」にも書かれた、村澤の新婚時代である。中井は二人の結婚式の一週間後にいきなり夫婦が住む東京東中野の石原産業の社宅に泊まり込み、翌週からは毎週土曜の夕方になると下着をいっぱい入れたボストンバッグをもって訪れた。一緒に夕飯を食べ、議論をする。村澤がトイレに立つと、カルガモの子どものように追いかけていってトイレの扉の前でもしゃべり続けた。同居している村澤の母が少し迷惑そうな顔をしていたが、お構いなしだった。翌日の夕方になってみんなで外出し、今度は中井がご馳走した。喜代子は、築地の寿司屋で食べた厚焼き卵とほんの少しのごはんを海苔で巻いた大鵬巻や、目黒のとんかつ屋のカウンターに置かれていた山盛りのキャベツの千切りに感動した。三人で多摩動物公園に出かけたこともあった。

村澤家には、喜代子の兄、杉山恵一も時折やってきた。杉山は昆虫寄生菌類や地衣類を専門とする生物学者で、のちに生態系を守るビオトープ運動の展開と普及に務めることになる人物だ。二人はたびたび中井のエッセイに登場している。少し時系列を変えてあるが、「精神科医がものを書くとき」(『中井久夫集 4』)に、「世界をできるだけ単純な公式に還元しよう」と考える理論物理学者の「火星人」として登場するのが村澤で、「世界の多様性に喜びを見出す」博物学に秀でた「金星人」が杉山である。『日本の医者』に続き『あなたはどこまで正常か』を出版したため、東大伝染病研究所を破門され、眼科のアルバイトで糊口を凌いでいた「公私ともに私の人生でもっとも暗い時代」(同前)、東大批判は議論の格好のネタとなった。村澤家の出である会津と薩長の確執や、戦争論、文学論まで話題は尽きなかった。

喜代子によれば、「中井先生は有機の人、お父ちゃん(貞夫)は無機の人だった」という。「お父ちゃんは理屈で割り切り、感情を殺す。先生は感情を垂れ流す。でも二人ともやさしい。お父ちゃんは心に産毛ではなく、剛毛が生えている人だったけど、やさしかった」。

中井にはむしろ、兄の杉山に似たものを感じた。生物やクライエントの言葉はわかるが、俗世間の言葉にうまくなじめないところ、知識武装しなければならないほど繊細なところ、等々。「三人が私に求めるものが同じだったの。母性? 全面的に自分をさらけ出せる相手? それぞれが大変な人たちでしたから」。

蜜月は半年後の秋、村澤の四日市工場転勤によって終止符を打つ。中井は精神科医の道へ進み、村澤は四日市での工場勤務を終えると大阪に転勤し、光触媒の実用化とそれによる大規模な大気・水質浄化装置の開発に勤しんだ。祖父が興した化学産業が原因で四日市ぜんそくが発生し、大きな社会問題を引き起こした。負の遺産を背負い、企業内研究者として生涯を捧げた村澤は晩年、息子たちに「おれの宿題は終わった」と告げたという。

中井と村澤は、ほぼ時を同じくしてがんを患った。村澤の容態がはるかによくないと悟ると、中井は、村澤が亡くなる一月前からほぼ毎日のように伊丹の病院に見舞った。大学時代に結核を患って親しくなり、「TB(テーベー)三人組」と呼び合ったもう一人の親友、吉田忠が一緒の日もあった。話題はなかなか尽きなかった。あの頃と同じように、ずっとそばにいて話をした。「中井、もう帰ってくれ」と、村澤にいわれるまで。

『中井久夫集 8』には、2002年2月から2004年12月に発表された文章が収録されている。この時期には友人知人、親戚が倒れ、中井自身も前立腺がんの手術や、胃のポリープの摘出手術を受け、心身ともに問題を抱えながらの日々を送っていた。〔…〕

(copyright Saisho Hazuki 2018)