みすず書房

同性カップルだからこそ純粋に考える「結婚とは…」 『キッド』続編

ダン・サヴェージ『誓います――結婚できない僕と彼氏が学んだ結婚の意味』 大沢章子訳

2017.04.20

訳者あとがき

大沢章子

本書は、ダンとテリーの同性カップルがオープン・アダプションで養子をもらうまでを描いた前作『キッド──僕と彼氏はいかにして赤ちゃんを授かったか』の続編である。
「悪運を呼び込みたくない」(ダン)、「ストレートのまねはしたくない/見世物じみたまねはごめんだ」(テリー)という理由で結婚はしたくないと言っていた二人が、どのような経緯で気持ちに折り合いをつけ、さらには「男の子は男の子とは結婚しないものだ」と言い張る息子D・Jの反対を乗り越えて、結婚を考えるようになったかを語るノンフィクションだ。
前作刊行当時赤ん坊だったD・Jは今や生意気ざかりの六歳に。いっぱしの口をきいてダンやテリーを困らせるけれど、寄り添って眠るときや膝に乗ってくるときの、親を信頼しきったその身体の重みを、ダンはこの上なく愛おしんでいる。前作を読んでいただいた方には、D・Jの成長ぶりやダンとテリーが立派に父親をしている様子を楽しんでいただけるのではないかと思う。また、おせっかいだが温かいダンの母親は、本作でも重要な役割を果たしている。

パパが二人いる他の子はどこにいるの? というD・Jの癇癪をきっかけに決まったミシガン州でのダンの家族との休暇の計画。ゲイのファミリーキャンプに参加することと、重篤な病気が見つかったダンの母をD・Jや家族と過ごさせることが目的だった。ダンの母親と義父のジェリー、ダンの三人の兄弟たちとそのパートナーと子どもたちが一つ屋根の下に集まるこの夏の休暇の様子は、カップルのさまざまなあり方を展示するジオラマさながらだ。結婚しておらず子どももなく、同棲もしていない長兄のビリーとケリー。再婚同士の複合家族をつくる次兄のエディとマイキー。同棲中で子どもがいるが結婚していない妹のローラとジョー。ダンは、二人に結婚を勧める母親をはじめ、さまざまな結婚観をもつ兄弟たちと率直に語り合う。結婚について、性について、親子や兄弟がこんなにもてらいなく話し合えるものなのかと感心し、羨ましささえ感じてしまう。
休暇を過ごす彼らの愉快なやり取りを読み進めるうちに、読者もきっと「結婚とは……」と考え始めることだろう。結婚には決まった形などなく、それぞれが自分に合った形をつくっていけばよいのだとも気づかされる。そしてそのカップルが異性愛者であるか同性愛者であるかを区別する必要もないのだ、ということにも。
著者の自虐と毒舌混じりのユーモアと人物描写の素晴らしさは本作でも健在で、随所で楽しませ、笑わせてくれる。それだけでなくホロリとさせられる場面もあって、そこがまた本書の魅力ともなっている。

本書が執筆されたのは、2004年の春にサンフランシスコ市長が同性カップルへの結婚証明書の発行を命じたのをきっかけに、キリスト教保守派の人々を中心とする同性婚反対の議論がアメリカ全土に巻き起こっていた時期である。その年の11月にブッシュ大統領が再選されると、人間らしく生きる権利を奪われる不安が同性愛者の間で高まった。同性婚が認められているカナダへの移住を本気で考える同性愛者も多かったという。
そのせいか、本書には同性愛者として虐げられてきた著者の憤りがより明確に語られている。社会が同性カップルには二重基準を設け、ストレートの人々が当たり前に享受している権利(結婚、子どもをもつこと)を同性愛者から奪っていることへの強い抗議が表明されている。その著者が終盤、彼らの記念パーティに集まってくれた大勢のストレートを眺めながら、そうした社会の抑圧に同性愛者が協力し、黙って従っていた時代は終わった、としみじみ考える姿には、自ら行動して未来を勝ち取ろうとする人の自信と希望が感じられる。そして実際、その後の2012年には二人が暮らすワシントン州でも同性婚が合法となり、2015年には全米で同性婚が合法化された。

ところが、この1月にアメリカではトランプ大統領が正式に就任し、移民や女性、マイノリティに対する彼の差別的発言が人々の不安を駆り立てている。現実に、就任式当日にホワイトハウスのウェブサイトからはLGBTの人権に関するページ(whitehouse.gov/lgbt)が消えた。ダンとテリーの「ItGetsBetter」運動も紹介されていたページだ。これは、政権移行にともなう過渡的な措置にすぎないのかもしれず、新政権がLGBTの権利擁護にどれだけ前向きに取り組むかは、本稿執筆時点では未知数だ。しかし、一連のトランプ大統領の発言やこれまでの新政権の動きを見ていると、本書に描かれた、同性愛者らがブッシュ大統領の再選に不安を募らせていた2004年当時の状況に逆戻りしてしまうのは、じつはいとも簡単なことなのだと思えてくる。長い年月をかけ、アメリカ社会にLGBTへの理解を浸透させてきた人々の努力が水の泡になるのではととても心配だ。
訳者自身、大統領選でトランプ勝利が伝えられたときに真っ先に考えたのは、彼らは大丈夫だろうか、ということだった。本書の翻訳に関わっていなければ、LGBTの人たちも大変になるな、と他人事のように感じただけだったかもしれない。抽象的な概念ではなく、現実に個人を知ることがいかに大切かを実感した。アメリカをはじめとするいくつかの国々が内向きになり、さまざまな分断が予想される今、自分とは異なる誰かを実際に知ることが、他者への理解を深め、差別のない協調的な世界をつくるための重要な一歩なのではないか、とつくづく思う。本書が、ささやかながらそうした役割を果たせることを願っている。

copyright Osawa Akiko 2017
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