みすず書房

三つ星の先、ハッピーエンディングの後

マルコ・ピエール・ホワイト『キッチンの悪魔』千葉敏生訳

2019.11.26

本書は風変わりなシェフの成りあがりの物語なのだが、成りあがり達成後、映画におけるハッピーエンディングの後までも描かれている。

イギリスのリーズという地方都市の労働者階級出身で、父親に育てられたマルコは、17歳でレストランに就職し、年上ばかりの職場でしごかれながらも、自分なりのやり方で経験を積み、レストランを転々とする。

見習いのころ本で見て以来あこがれ続けていた店で働くし、自分の店をもち念願のオーナーシェフにもなるし、ミシュランの星も獲る。しかも三つ星はイギリス人で初めてだ。フランスの古典的な料理をもとにして、質感を軽く、そのかわりたっぷり食べられるように「改良」したマルコの料理に、政治家や皇室からも声がかかった。

70-80年代のイギリスをマルコがシェフとして渡り歩く物語には、その時にしかなかったエネルギーが詰まっている。弟子だったゴードン・ラムゼイやクセの強いシェフたち、店の内装を依頼したデミアン・ハースト、ミシュランの調査員たち、イギリスに進出していた日系企業で働くミスター・イシイ…などなど、接点のあった人びとの個性も、よいスパイスだ。

一見するとバラ色のシェフ時代だが、しかし読んでいっても本人が幸せそうな感じがあまりない。というよりも常に渇望している。目の前のお客さんを満足させたら、また次のお客さん。ミシュランの星を獲ったら、二つ目はいつ? 最高峰の三つ星を獲ったら、その次は? と、まだ物語は終わらない。マルコはある決断をして、ようやく自分にとって「人生でいちばん幸せ」といえる季節を迎えるのだ。料理人としての目的をすべて達成した後の決断もふくめて、ぜひこの人の人生を読んでみてほしい。

本文中のコラムや巻末のレシピ集には、仔牛の関節の骨など入手しづらい食材も出てくるが、マルコの料理のボリューム感や潔さが伝わってくるので、食べること・作ることが好きな方ならお楽しみいただけると思う。毎年11月に刊行される『ミシュランガイド東京 2020』も違った見え方をするかもしれない。