みすず書房

トピックス

『ゴーギャン オヴィリ』

一野蛮人の記録 ダニエル・ゲラン編/岡谷公二訳 [復刊]

オヴィリとは、タヒチ語で「野蛮人」を意味する。ポール・ゴーギャンが1895年のサロン・ド・ラ・ソシエテ・ナショナル・デ・ボーザール(国民美術協会展)に出品して拒否された、異様な、両性具有の陶製彫刻の題名である。本書のカバーに用いられているのは「オヴィリ」と題された水彩画で、このほか本書の表紙には「オヴィリ」の木版画の複製、扉には「オヴィリ」のブロンズ像の写真が刷り込まれている。

男神にして女神でもあるこの野蛮な神オヴィリに、ゴーギャンは自分をなぞらえていた。ゴーギャンの著作には、野蛮人になりたいというライト・モティーフが、たえず立ち戻ってくる。
ゴーギャンは「粗野な水夫」として人生を始めたと自分で言っているように、もと商船の船員であり海軍の軍艦の乗組員で、株式仲買人の職を捨てて絵画に没頭した。しかし早熟で、しっかりした中等教育を受けた画家=文筆家ゴーギャンには、独学者風なところは少しもなかった。
もっとも洗練された文明の美しさを認める、優れて文明化された野蛮人という本質的二重性。そして一方、オセアニアへの自己追放の中にある、単に文化からの脱走ではない、未開拓な絵画の主題を求めて最後には文化を豊かにするという芸術家としての計算。新しい着想を求めて地球の反対側へと赴いたことは、彼を劇的な矛盾の中にとじこめたが、このような距離をとったことが、遙か彼方の過去・現在の文明を明晰に深く判断することのできる立場を彼に与えた。
ゴーギャンの残した厖大な文章の集成が、このおどろくべき先駆者の、生と芸術を照らし出す。

私は十二月に死ぬつもりだった。で、死ぬ前に、たえず念頭にあった大作を描こうと思った。まるひと月の間、昼も夜も、私はこれまでにない情熱をこめて仕事をした。そうとも、これは、ピュヴィ・ド・シャヴァンヌのように、実物写生をし、それから下絵を作り、という風にして描いた絵じゃない。一切モデルなしで、結び目だらけのざらざらした小麦袋のキャンバスを使って、一気に描いた。だから、見かけはとても粗っぽい。(……)
これは、高さ一メートル七十、横四メートル五十の絵だ。上部の両隅をクローム・イエローで塗り、金色の時に描いて隅を凹ませたフレスコ画のように、左手に題名、右手に署名を入れてある。右手の下に、眠っている幼児と、うずくまっている三人の女。緋色の着物をきた二人の人間が、それぞれの思索を語り合っている。この、自分たちの運命に思いをいたしている二人を、かたわらにうずくまった人物――遠近法を無視して、わざと大きく描いてある――が、腕をあげ、驚いた様子で眺めている。中央の人物は、果物をつんでおり、一人の子供のかたわらに二匹の猫がいる。それに白い牡山羊。偶像は、神秘的に、律動的に腕をあげ、彼岸をさし示しているように見える。うずくまった人物は、偶像の言葉に耳を貸しているらしい。最後に、死に近い一人の老婆が、運命を受け入れ、諦めているようにみえる。……彼女の足もとに、あしでとかげをつかんだ一羽の白い異様な鳥がいるが、これは、言葉の空しさをあらわしている。(……)ローマ賞の試験を受ける美術学校の学生に、「われらはどこから来たのか? われらは何者なのか? われらはどこへゆくのか?」という題で絵を描けと言ったら、奴らはどうするだろう? 福音書に比すべきこのテーマをもって、私は哲学的作品を描いた。いいものだ、と思っている。(……)
(友人の画家・船乗りモンフレエ宛、1898年2月、タヒチ、本書200-201ページ)

ここに書かれている「大作」とはむろん、この春から日本初公開の始まった《我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか》(ボストン美術館蔵)のことだ。ゴーギャンの死後にまでわたってもっとも忠実な友人だったダニエル・ド・モンフレエへ宛てて書かれた手紙の一節である。

■名古屋ボストン美術館「ゴーギャン展」開催中

開館10周年を記念する「ゴーギャン展」が2009年4月18日(土)より始まり、6月21日(日)まで開かれています。ゴーギャンの制作した最大の作品にして最高傑作《我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか》の本邦初公開を核に、本作へ至る画家の軌跡をたどる展覧会です。印象派の影響が見られる初期油彩画から『ノア・ノア』の版画連作まで、ボストン美術館の所蔵する油彩画・木彫レリーフ・版画連作に、国内美術館の所蔵作品を加えた約40点が展示されます。名古屋ボストン美術館は、アメリカのボストン美術館コレクションによる展覧会を企画開催する姉妹館として、1999年4月に開館したものです。
http://www.nagoya-boston.or.jp/gauguin/outline.html

《我々はどこから来たのか》はその後、東京国立近代美術館「ゴーギャン展」(2009年7月3日〔金〕‐9月23日〔水・祝〕)でも展示されます。同作を中心に、国内外から集められた油彩・版画・彫刻約50点の作品を通して、混迷する現代に向けられたメッセージとしてゴーギャンの芸術を捉えなおそうとする展覧会です。《我々はどこから来たのか》は1936年にボストン美術館に所蔵されて以来、アメリカ国外で公開されるのは今回で3例目といいます。
http://www.gauguin2009.jp/

■「ピカソとクレーの生きた時代展」開催中

「20世紀のはじまり ピカソとクレーの生きた時代」展が、兵庫県立美術館(神戸市)で2009年5月31日(日)まで開かれています。ノルトライン=ヴェストファーレン州立美術館が所蔵するヨーロッパ屈指のコレクションから、ピカソ、クレーの名作を中心に選ばれた23作家の名品で、20世紀前半というきわめて魅力的な美術の世界を展観します。
http://www.artm.pref.hyogo.jp/index.html

画家パウル・クレーは文章を書くのも好きで、自己省察のために日記をつけました。死後、日記は子息フェリックスの手で編集され、『クレーの日記』(南原実訳、新潮社、1961年)として刊行されましたが、その後、クレー研究の第一人者W・ケルステンが成立過程を詳細に再検討して校訂・再編集。改訂版として出版されたのが『新版 クレーの日記』です。高橋文子訳の新しい日本語でクレーのことばがよみがえりました。

■「マーク・ロスコ 瞑想する絵画」展 開催中

「マーク・ロスコ 瞑想する絵画」展が、川村記念美術館(千葉県佐倉市)で2009年6月7日(日)まで開かれています。半世紀以上にわたって散逸したままだった〈シーグラム壁画〉の半数の15点が初めて一堂に会し、幻のロスコ・ルームをつくりあげます。
http://kawamura-museum.dic.co.jp

画家マーク・ロスコが矩形の浮かぶ独自の様式にいたる途上、1940年代前半に綴った草稿を、子息クリストファーが編んだ『ロスコ 芸術家のリアリティ――美術論集』。模索の苦しみのなかで絵筆をおき、造形芸術の「リアリティ」の系譜を記しつづけたロスコは、数年後ふたたび画布に向かったとき、現在ロスコの到達点として認められる純粋な抽象画へと変化を遂げていました。各紙誌の書評にとりあげられ好評を博しています。




その他のトピックス