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E・ガレアーノ『火の記憶』
3 風の世紀 飯島みどり訳 [三部作完結]
このたび刊行される『火の記憶』第三巻「風の世紀」は1900年の項から始まる。
「(…)世紀末の真夜中がやって来ると、サン・ホセ・デ・グラシア村の住人はこぞって立派な死を迎えるべく支度した。世界の創設からこちら、神は相当に憤怒を溜めこんでおられるのだから、最後の破砕の時が至ったとは誰も疑う者がなかった。息を殺し、目を閉じ、歯を喰いしばり、もうこの先はないと固く信じ、村の衆は教会の鐘が打つ十二の時を、ひとつひとつ耳に刻みつけた。」世界は滅びる、すべての者は死ぬ。村の衆はそう信じていたのだ。しかし教会の鐘が十二を打ってもまだ先はあった。「さっきから二十世紀は歩を踏み出し、何事もなかったように続いている。」
それから百年、2000年12月に第一巻「誕生」の日本語訳がみすず書房から刊行された。そして二十一世紀は歩を踏み出し、2000年問題などなかったように続いている。ラテンアメリカ最大級の文学作品『火の記憶』は、著者ガレアーノが書いているように、小説、随想、叙事詩、記録、証言……おそらくそのどれでもあり、またどれでもない。「生起したことがら、アメリカの歴史、とりわけラテンアメリカの歴史を語るが、著者がこれを語るとき、既に起きたことがらを読者が目の前で再び起きていると感じ取れるような手法により」語られている。
2011年12月訳者飯島みどりはここに全三巻の翻訳を成し遂げた。どの項を読んでも、どのページを開いても、目と耳に感じられる訳文の工夫がある。十年を費やしたことも、この作品が相手ではやむをえない。
「風の世紀」最後の一項(1986)は、著者がしたためたモンテビデオからの「一通の手紙」である。「(『火の記憶』が)長くなりすぎたとしたら、許してほしい。この本を書くのは手が喜んでしまって仕方がなかった。今やかつてないほど、アメリカに生を享けたこと、このどうしようもない糞ったれの大地、この素晴らしい大地に、しかも風の世紀に生まれたことを自分は誇りに思います。――エドゥアルド」この手紙の宛先は、編集者アルナルド・オルフィラ=レイナル。出版社の名は「シグロ・べインティウノ出版社」。社名の意は「二十一世紀」である。