みすず書房

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『叛逆としての科学』

フリーマン・ダイソン 柴田裕之訳

『叛逆としての科学』が毎日新聞書評(評者:中村桂子氏、8月31日〔日〕)と朝日新聞書評(評者:尾関章氏、9月7日〔日〕)の高評を得て、読者を広げている。(尾関氏の表現を借りると)「ノーベル賞が通り過ぎていった現代物理の巨人」「物理学の枠を超えて知性の巨人」であるフリーマン・ダイソンが、科学における革新と保守の様相というテーマを基調低音として響かせながら、知の営みを縦横に論じたエッセイ集だ。戦争を知る科学者であり、20世紀の理論物理学のメインキャストの一人であり、DNAの二重らせん構造の発見以降の生物学の発展もつぶさに見てきた彼ならではの洞察が、本書を非常に読みがいのあるものにしている。
たとえば中村桂子氏の書評でも紹介された、科学の革命派と保守派に関する一節はこんな感じだ。

「科学の歴史において、革命派と保守派のあいだにはつねに緊張状態が見られる。革命派は空中に壮大な楼閣を築こうとし、保守派は堅固な地盤の上にレンガをひとつひとつ積み上げていくことを好む。普通、緊張状態は若き革命派と老いたる保守派のあいだに起きる。……
50年前、私が今の〔ブライアン・〕グリーンよりだいぶ若かったときは、事情が違った。ごくあたりまえのありようがくつがえっていた。1940年代後半と50年代前半当時は、革命派は年老いていて保守派は若かった。老いたる革命派にはアルベルト・アインシュタイン、ディラック、ハイゼンベルク、マックス・ボルン、エルヴィン・シュレーディンガーがいた。各人が途方もない理論をもっており、……5人の老人のひとりひとりが、25年前に自分たちが先導した量子革命に劣らず深遠な別の革命を、物理学が必要としていると信じていた。そしてそれぞれ、自分のお気に入りの着想こそ、新しい飛躍的な突破口へと続く道への決定的な第一歩だと信じていた。
私のような若者たちは、こうした有名な老人たちがそろってばかげたことをしているのを見て、保守派になった。当時の若者の代表格にはアメリカのジュリアン・シュウィンガーやリチャード・ファインマン、日本の朝永振一郎がいた。ファインマンを知る者ならだれでも、彼が保守派と呼ばれるのを聞いたら驚くかもしれないが、このレッテルは正しい。ファインマンの流儀は威勢が良くて素晴らしく独創的だったが、彼の科学の本質は保守的だった」

戦後の理論物理学について、こんな人を喰ったような、それでいて歴史の真実を衝いた語りのできる人が他にいるだろうか?
ダイソンはそのほかの幅広く多彩なテーマについても、書評を端緒に説き起こし、鋭利に掘り下げ、読む側の意表を衝くような彼独特の興味深い洞察を披露している。「よい書評は時に、評されている本を読む以上に面白いものだと思った」という中村桂子氏の評に多くの読者が頷かれるだろう。読書欲を否応なく刺激され、読後、すぐに次の本を求めて書店へ走りたくなる本だ。




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