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ハルトゥーニアン『歴史と記憶の抗争』
「戦後日本」の現在 カツヒコ・マリアノ・エンドウ編・監訳
「ハルトゥーニアン」という特徴のある名前。出自を知りたいという人は多い。『歴史と記憶の抗争』の序文と、「監訳者あとがき」を読むと、その背景がよくわかる。序文は、以前に来日した折、大学の小さな教室で語った入門的な話がもとになっていて明快だ。一方「監訳者あとがき」は、著者がかつて自分の幼少時を語ったインタビューを引用していて、いっそう具体的。
それらによると、著者はアルメニア生まれで、父親とともにアメリカに移住し、デトロイトで育った。アルメニアでは、19世紀から20世紀にかけての「トルコ人によるアルメニア人大虐殺」の話を聞かされて育ったという。事実、父親は12人の子供がいた家族の唯一の生き残りだった。
マイノリティ・アメリカ人として学者になり、著者はしごく当然の疑問をもった。「自分はなぜ、日本人の歴史を研究しているのか」。さらに「アメリカの日本学の学者はなぜ、誰もこの同じ問いを発しないのか」。
著者が日本研究を始めた理由は本書にゆずろう。象徴的な事実は、この問題意識から出発したため、著者の関心が、アメリカの「日本学」の独特の成り立ちと、その担い手たちのドラマに向いていき、そして、日本の近代史を世界史の文脈にどう位置づけるか、というテーマに向いていったことだ。
戦後初期の「日本学」を担った人たちのルーツはおおまかにふたつ。ひとつは、日本で生まれ育った宣教師の子供たち。戦時中、宣教師たちは、軍隊内部の言語教育に携わり、捕虜から入手した情報の解読にも動員された。敵の言語を学習する機関が、日本学のルーツを形づくったわけだ。もうひとつのルーツは、当然、軍隊で言語教育を受けた将校たちである。
アメリカの日本占領時代、このふたつの集団は、マッカーサー司令部の各部署に配置される日本語専門将校たちを輩出した。世界が冷戦へと急カーブを切っていくころだ。
こうして出発した戦後の日米関係は、アメリカの大学の日本学に直接に反映された。著名な専門家たちが育ち、その影響力は一貫して日米関係のあり方を決めてきた、とさえいえるだろう。現在の日米関係も、この「もつれ」から全然自由になっていない、と著者は主張する。本書ではその議論が重層的に(天皇制、靖国問題、ファシズム、戸坂潤・竹内好…)、十二分に展開され、刺激的な「戦後論」になっている。
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