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宮田恭子『ジョイスと中世文化』
『フィネガンズ・ウェイク』をめぐる旅
現代文学の最前衛たる『フィネガンズ・ウェイク』の裏には、〈聖と卑猥がひしめき合う中世の居酒屋〉がある。実際にヨーロッパを巡歴して中世精神を探求した旅と考察、その余話を、著者からおよせいただきました。
『ジョイスと中世文化』余話
宮田恭子
錬金術を象徴的に描く中世の写本『太陽の光彩』を見たいと、所蔵する大英図書館へ閲覧申請書を送った。しかし、マイクロフィルムなどの代替物ではなく原物そのものを見なければならない理由が薄弱だとして、申請は却下された。貴重なこの写本の閲覧願いは審査が厳しく、断り状も十分納得できるものだった。中世写本の宝庫、大英図書館へはともかくも行こうと、やはり写本を多く蔵するパリ国立図書館を訪れたあと、海を渡った。大英図書館はユーロスターの終着駅パディントンから歩いて数分、係に入館証発行を願い出ると、昔の記録が残っています、お帰りなさいとばかりに、笑顔で手続きを進めてくれた。
「美徳・悪徳」の戦いを書いたプルデンティウスの叙事詩『プシコマキア』の写本を見ることがもう一つの目的で、写本部門の係員に研究テーマを説明し、閲覧請求票を差し出すと、何と日本から送った『太陽の光彩』閲覧願いを引き出しから出し、これはあなたのですねと言い、マイクロフィルムやビデオを見る機械へ私を案内し、操作の仕方まで説明してくれた。その上、提出した請求票以外の写本も数冊書庫から出してきて渡してくれた。それらの写本はいかにもfragile(「破れやすい」。図書館の古書等の注意書きに見られる語)で、見せてもらえることが特権かと思われるような、七百年から九百年前の写本であった。
中世をたずねる私の旅は、このようないくつもの好意や暖かさに支えられた。
copyright Miyata Kyoko 2009
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