みすず書房

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中井久夫『臨床瑣談 続』

〈一般論的な違いとして、患者とその縁者の求めるものは端的な「治癒」であるが、医学は実はそうではない。病因とされるものは必ずしも単一の器官、臓器、細胞群、体液の異常ではないけれども、とにかく病因となっている異常に一連のプロセスを加えることであって、全体的治癒はこの医療的プロセスの結果の一つにすぎない。「治癒」の例をいくつ並べても、それは医学的証明にはまったくならないのである。治癒例を羅列している本は、いかがわしいのである。…しかし、同時に、疾患と治療のプロセスを述べて決断を迫る医師に対して、求めているものを与えられていない欠落と失望を禁じえない〉

大好評の前作『臨床瑣談』(6刷)と同様、著者は今回も、生活者である患者側と医師団のあいだに立って、いわば仲介者として、医学の可能性と限界について論じている。われわれに関係の深い認知症、血液型性格学、煙草と酒、西洋医学と中医学、インフルエンザをテーマに、著者のスタイルは一貫している。われわれは人間であると同時に生物体であること、ひとそれぞれ個性がありながら共通性もあること、ひとは自然に生かしてもらいながら、一方で自然と対峙していること。このように当たり前にみえるようなことを前提に、一つ一つの病気や事象を著者の眼でつぶさに観察したり関与してみると、そこにさまざまな驚きと発見があらわれ、安心感と諦念が生まれ、コモンセンスや生きた知恵が育まれる。

たとえば、本書のために書き下ろされた「インフルエンザ雑感」の最後には、こう書かれている。

〈ペストの大流行ならともかく、町から人影をなくするようなことは現実にはできないと私は思う。マスクをして呼吸器を温かく湿らせ、手足を洗い、外出時の服を脱いで太陽にさらすぐらいが、都市の活動と両立させる感染拡大予防の限度であろう。個人のたいていは数日で治癒に向かうのである。学校は休校にしてよかろう。青少年の身体接触、飛沫放出がもっとも大きいことがわかったのは今回の貴重な教訓である。しかし、公共の施設、交通機関、企業などは休むことができないであろう。大流行といえども、やがて過ぎ去ると考えて耐えるしかない〉

これをありふれた常識と考えるか、著者の長年の臨床経験と時代観察にもとづいたゆるやかな着地点、生活者と医師の双方への責任ある態度のうながしととるか。さて、どうであろうか。そのためにも、まずは本書のページを繰っていただきたいと思う。




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