みすず書房

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井出孫六『すぎされない過去』

政治時評2000‐2008

2000年から9年間にわたって書き継がれてきた時評をまとめた随筆集である。国政から国際政治、太平洋戦争から現在の戦争までを、アジア・中東、ヨーロッパ、アメリカ合衆国等々世界の動向を見据え、柔軟な思考で論じている。『信濃毎日新聞』連載「今日の視角」から政治・社会的テーマで162篇を編集。歴史・社会への繊細な感覚と持続的批判精神で、2000年代の政治を考察する。

時評は以下のような書きぶりとなっている。任意に一篇を紹介しておこう。

終わりなき旅は終わるか

井出孫六

7月7日は七夕だが、70年前のこの日、北京郊外の盧溝橋で日中戦争の本格的な火ぶたが切って落とされた日であることをしっかりと記憶にとどめておきたい。

その翌日、南佐久郡大日向村(現佐久穂町)から村を二分しての「満州大日向村」建設に向けて先遣隊が送りだされていった。広田内閣が七大国策の一つとして策定した「百万戸・五百万人送出計画」のモデルケースの役割を担ってのことだった。

敗戦後、引き揚げて浅間山ろくに再入植した方々にうかがったのだが、「満州大日向村」にはすぐ播種も可能な一戸当たり10‐20町歩の熟地が用意されていて開墾の必要はなく、住居も当座現地農民の住んでいたらしき空き家に入ったという。当時の日本人は現実を直視する視力を“教育”によって奪われていたというほかはない。周囲には土地を追われた現地農民の怨恨が充ち満ちていたことも。

それから八年、「ソ満国境」地帯にばらまくように送り出された「満蒙開拓団」は約27万人。泣く子も黙るといわれた関東軍の主力は沖縄や南方の激戦地に転用され、1945年8月までには開拓団の男性が根こそぎ召集された。ソ連の対日参戦当時、最も危険な国境地帯には老人、婦人、子どもだけが、何も知らされることなく放置されていた。

7万8000人の犠牲の中で、辛うじて現地農民を頼って命永らえた13歳未満が「残留孤児」、13歳以上が「残留婦人」と呼ばれる方々だが、現在「残留孤児」は62歳以上、「残留婦人」は75歳以上の高齢に達している。生活保護に頼るほかない現状を、神戸地裁判決は「政府は過去の無慈悲な政策によって発生した残留孤児を救済すべき高度の政治的な責任を負う」と断じてくれた。

父祖の旅立ちから70年、その子や孫たちはもう一つの移民の姿で母国に帰ってきたが、旅の終着駅がようやく目前に見えてきた。けれどもそれが果たして幸福駅といえるかどうか。次回、その中身を吟味しておきたい。(2007年7月19日)
(『すぎされない過去』227‐228ページ)

copyright Ide Magoroku 2010
(著者のご同意を得て転載しています)

なお現在、姉妹編として文化・芸術をテーマとした『わすれがたい光景――文化時評2000‐2008』(仮題)の編集を進めており、今秋にはお届けできるだろう。




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