みすず書房

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井出孫六『わすれがたい光景』

文化時評2000‐2008

2000年から9年間にわたって書き継がれてきた時評を編集した随筆集である。『信濃毎日新聞』連載のコラム「今日の視角」から選んだ文化・社会的テーマの163篇より成る。文学・映画から美術まで、また花鳥風月からエコロジー問題までを時代を見据え論じている。歴史・社会への繊細な感覚と持続的批評精神で2000年代の文化を考察している。

時評は以下のような書きぶりとなっている。任意に一篇を紹介しておこう。

光を観る

井出孫六

夏のあいだ仕事を持って茅野にやってくるようになって30年になる。わたしの生まれ育った佐久側からは、八ヶ岳は天狗、根石、硫黄の三つの峰がわずかに見えるだけだったが、ここからはさらに横岳、赤岳、阿弥陀岳、権現岳、編笠山と、合わせて八つの峰がパノラマのように南北に連なっているのを一望におさめることができる。この雄大な景観に引きつけられて、30年ここに居座ることになってしまったといってよいかもしれない。

わたしが初めてここに来た頃、近くに亡父の遺産を整理してアトリエを構え移り住んできた老婦人がいた。雄大な景観に魅せられてせっせと制作していたが、老いた独り身に冬はあまりに厳しすぎたのであろう。孤独に耐えかねて山をおり、わけもなく駅の柵に身をよせて列車を見送ったとき、とめどなく涙が流れて仕方なかったと語っていたことがあった。数年後に彼女は山麓から去ったが、記念にと置いていってくれた一幅の「八ヶ岳夕景」は、いまもわたしの仕事場にある。

八ヶ岳は四季によって装いを変えるが、一日のうちでも、朝、昼、夕とその容貌が変化する。とりわけ、乗鞍の向こうに陽が沈むころ、夕映えの八ヶ岳が七色にも装いを変えたあと、くろぐろとして闇にとけこんでいくのを見つめていると、なぜか身がひきしまってくる。

手許の漢和辞典で「観光」を引くと、「国の文物、礼制を観察してよく知ること」とあるが、いや、観光とはもともと仏典から出ていると教えてくれた先輩がいた。じっさい、四季それぞれに変容し、時々刻々光によって装いをあらためる八ヶ岳の山容を見なれたものの目には、観光とは光を観ると素直に読める。その八ヶ岳には古くから阿弥陀岳、権現岳などの峰の名があったのだが、天狗岳、編笠山などの名がいつ頃から習合してきたものなのであろうか。

手許の統計によれば、長野県の年間観光客は1997年には1億532万人に達したとある。神社仏閣を訪う奈良や京都とはちがって、そこに山があるからにほかならない信州への観光は、光を観る旅であってほしい。(2003年8月7日)
(『わすれがたい光景』110‐111ページ)

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(著者のご同意を得て転載しています)




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