みすず書房

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酒井忠康『鞄に入れた本の話』

私の美術書散策

“美術書”というジャンルは、残念な存在である。
出版社のカタログにおいては傍流として扱われ、書店でも店舗の奥また奥に申し訳程度にスペースが割かれるに過ぎず、新聞書評で取り上げられることは滅多になく、読者の皆さんからは「なぜこんなに高いのか」と嘆かれる始末だ。
しかしその美術書が、哲学書、歴史書、文芸書など人文書の一端を担い、日本人の文化活動を啓発してきた功績は疑う余地がない。特に1950年代から70年代にかけての高度成長期は、西洋美術に対する国民の関心が高まり、高価な美術書・画集が多く読まれるようになり(小社も『現代美術』全25巻の販売で糊口をしのいだという)、一方で泰西名画を集めた展覧会が各地で開催されるなど、美術に対する理解が醸成された。本書は、まさしくそうした時期に、美術館学芸員として数々の展覧会を企画した酒井忠康氏(現・世田谷美術館館長)の、美術書遍歴ともいえるエッセイ集である。

美術評論の第一人者、土方定一(1904-1980)が館長を務める神奈川県立近代美術館に勤務し、師ととともに美術の来し方行く末を見つめてきた著者は、書をひもとくことを第二のフィールドワークとしながら独自の姿勢を形成してきた。本書は、そうした氏の嗜好が強く働いたところでセレクトされた美術書ガイドである。“雑食主義”と著者自ら言うところの縦横な読書癖も相まって、ここに取り上げられるのはいわばガチガチの美術書ではなく、美とかかわる人々のユニークな心性が伝わる味わい深い美術書が中心となっている。本書のもとになっている新聞連載「美術本の一隅」のタイトルそのままに、美術の片隅をそっと照らす、著者の優しいまなざしが感じられる一冊である。

美術書はどこへ向かうのであろうか。愛惜したり懐古したりする対象だけではつまらない。美術“本体”とともに同時代を鋭く描き、抉出する存在として、まだまだ本領を発揮してもらわねばならない。さまざまな美術書を座右に置くことで、美術をより深く洞察できることを本書は教えてくれる。

この秋も、全国の美術館やデパートで多彩な展覧会が開催される。皆さんご愛用の鞄に本書を携えて、お近くの美術館に足を運んでみてはいかがだろうか。




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