みすず書房

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アントネッラ・アンニョリ『知の広場』

図書館と自由 萱野有美訳

いまでは図書館計画のアドバイザーとして
国内外を飛び回る著者、イタリア人のアントネッラ・アンニョリさんの
これまでの歩みは、人間味あふれるエピソードであふれている。

アンニョリさんは、はじめから図書館司書を
志望していたわけではなかった。
どんな仕事をしようかな、と思っているときに、
たまたまヴェネト州(長靴型の国の上端)主催の
公共図書館についての講座を受けたのが事の始まり。
その時の主催者がマリア・ラッバーテ・ウィドマンという人で、
この人との出会い(73-74年)がきっかけとなり、
図書館への情熱をはぐくんでいったのだそう。
このラッバーテ・ウィドマンさん(トリエステ出身)は、
当時のイタリアでは全く考慮されていなかった、
子どもやハンディキャップのある人たちに向けた
図書館の必要性を初めて訴えた人だった。

ヴェネト州の片田舎にあるスピネアで、町の図書館の館長を
初めてつとめることになったのも、
ちょっとした縁に導かれてのことだった。
ヴェネツィア市の周辺の町で
ミニ・フィルムを作る仕事をした際に、
この町のあるヴィラを改装して図書館にする案があることを知り、
建築に興味のあった彼女は、その計画に関わることになった。
この時点のアンニョリさんは、いってみれば図書館づくりに関しては
ど素人。一冊の蔵書もないところからのスタートだったから、
なんの本を買えばいいの?と途方に暮れた。
ところがここからが彼女の本領発揮、
ゼロから、町の人たちが集まってくる図書館を作り上げていくチャンス!
と考えて、
さまざまな業種のいろいろな人の所に話や意見を訊きにいった。
彼女は直感的に、ハローページをめくり、
この町にどんな人が住んでいるのか調べることにした。
苗字から、職業や出身地が分かるから。
その結果、移民が多い地区だということ、
そこがヴェネツィア付近の工場地帯のベッドタウンで、
新しい、若い家族が多いことが分かってきた。そこで
普通だったら学生や学校の先生の利用を踏まえた蔵書にするところ、
あえて、子どもの視線からはじめよう、と決めたのだ。

こうして、一番最初に500冊の子どものための本を購入。
そのなかには、エンメ出版社(この出版社の絵本シリーズは
すばらしいものだった。けれどもう市場には出回ってない)や
ムナーリやローディの本なども入っていたけれど、
その多くが学校の先生も、子どもも、親も知らない本ばかりだった。
そこで、まずは子どもたちを招いて、ガイドツアーみたいなことをする。
好きな本を選んだら、お昼には家にもって帰って読んでいいよ、
でも夕方にお母さんと一緒に図書館に返しにきてね、というふうに。
すると、お母さんたちが子ども経由で図書館のことを聞いて
やってくるようになった。
そうした交流はお母さんたちと図書館の垣根を低くし、
お母さんたちは時間があると子どもと一緒に
図書館に足を運ぶようになった。こうして、
スピネア図書館は町の人口の半分の登録者数を獲得したのだった。

アンニョリさんはこう回想している、「スピネア図書館に設備したのは、
学生のための百科事典ではなく、
人と本と場所の「ハーモニー」だった」と。
この経験から、以後いくつもの図書館づくりを手掛け、成果を上げていく
アンニョリさんの図書館人生は始まったのだ。

[終了しました]来日講演ツアー 2013年5月25日(土)-6月15日(土)

2013年5月25日、せんだいメディアテーク(宮城県仙台市)での建築家・伊東豊雄氏との公開対談「知の広場とみんなの家」(司会・通訳 多木陽介氏)をかわきりに、6月15日まで全国各地を講演ツアー。



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