みすず書房

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T・フランセーン『ゲーデルの定理』

利用と誤用の不完全ガイド 田中一之訳

ゲーデルの不完全性定理を引用する前に、本書のカバーに印刷されている手書き文字の文章をちょっと読んでみてください──

「ゲーデルの不完全性定理は、すべての数学的体系において、証明も反証もされない公理があることを述べている」
「不完全性定理は、科学の進歩がどれほど成し遂げられようと、科学が自然界を完全に解明することは原理的にできないことを明らかにする」
「ゲーデルが立証したように、すべての無矛盾な形式体系は不完全であり、またすべての完全な形式体系は矛盾している」
「ゲーデルの不完全性定理は、客観的現実の存在は証明できないことを示している」
「人が論理的であろうと試みる限りにおいて、その思考は形式体系を形成し、そしてそれは必ずゲーデルの定理によって縛られる」

などなど。どれも不完全性定理の誤った引用なのです。もしどう間違っているのかわからない文があったら、あなたも定理を引用するのはちょっと待って! 本書はこんな誤用を防いでくれるユニークな手引きです。しかも痒いところに手が届くおもしろさ。ゲーデルの定理について自然に浮かぶ疑問──たとえば、ゲーデルが考え出したものより単純な「自己言及」を使って定理をあっさり証明できないのはなぜ?──もきちんと説明してくれます。

手引きとしての実用性もさることながら、著者はもっと奥深くまで読者を誘い込みます。本書で語られるのは、「計算可能性理論」をはじめ、形式体系の性質についての創造性あふれる理論の世界。「人間の心にできてコンピュータにできないことが、原理的に存在するか?」という疑問や、「複雑さ」「無尽蔵」といった概念も論理的に掘り下げられ、そこから非凡なアイデアが飛び出します。感覚的には、異次元探検(平面の性質にもとづいて2次元の世界を想像するとか、迷路の中で迷路の全体像を推理するような)の愉しみの極北、と言ったら玄人筋に怒られるかしらん……。ゲーデル、チューリングをはじめとする驚くべき頭脳が切り開いた分野を、本書で覗きこんでみてください。

ゲーデルの定理は「革命」を起こしたといわれますが、「革命」ばかりが(中身の理解をちっとも伴わずに)騒がれるなか、本来の意義にこそ光をあてたいという研究者の思いが込められた秀作です。




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