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服部文祥、『ピダハン』を読む

[書評エッセイ] D・L・エヴェレット『ピダハン』(屋代通子訳)を読む

服部文祥

現代社会で生きることに悩むすべての人に強く本書を推薦する。いや、もしかしたら知らない方がいいかもしれない。些細な悩みは霧散しても、硬い芯のような悩みが新たに生まれることになるからだ。私はそれほどまでに根本的なことを蹴飛ばされて、ピダハン前とピダハン後で少し世界観が変わってしまった。

著者はバリバリのキリスト教伝道師兼言語学者としてアマゾンの奥地、ピダハンの村へ移り住む。だがピダハンの世界には、過去や過去完了などの時制や神という概念をはじめ、左右を表す名詞、色を表す形容詞などの言葉が存在せず、普及活動はままならない。数を数えることもなく、いくら教えても1+1をだれひとりマスターできず、政府も国家もなく、自分の見たもの、もしくは報告者が直接体験したことしか信じない(というか存在しない)。そこには自分たちの起源を伝えるような伝承もない。

著者は次第に、ピダハンの言語そのものがアマゾンの奥地で自力で暮らしていくための世界観の表れだと理解していく。これまで西洋文明はそのような文明を野蛮、未開として見下してきた。だがじっくりピダハンの世界に触れてみると、彼らはどうやら我々が思う以上に幸せで、充実した生涯を送っている。環境のプレッシャーも死も、自然に受け入れて清々しい。その世界観は魅力的で、筋が通っており、深みにおいてはもしかして……。

ピダハンの世界観は八百万の神に近い面もあり、キリスト教徒と科学知識が転覆する様は見ていて痛快だ。だが転覆するのは著者だけではない。豊かさとは何か、幸福とは何か、追い求めるそれらのものが、自分の進む道の先にはないかもしれないという不安に取り巻かれつつある我々も同じように壊される。だが壊されたはずなのに、直っているような気がするのはなぜだろう。それは同じ人間の生きる力に触れた誇りのような救済なのかもしれない。

(はっとり・ぶんしょう サバイバル登山家)
copyright Hattori Bunsyo 2012

* この書評エッセイは、無料のタブロイド版出版情報紙『パブリッシャーズ・レビュー みすず書房の本棚』2012年6月15日号三面掲載の書評コラムでもお読みいただけます。




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