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松本礼二『トクヴィルで考える』

マルクスが幅広く読まれていた時代にはトクヴィルの著作はあまり顧みられなかった。それが、冷戦構造に亀裂がはいり解体するや、トクヴィルは俄然として注目を浴びるようになった。かつての社会主義国や民族主義が席巻する諸国を中心に、「デモクラシーとは何か」が新たに問われ、そのために、創生期アメリカの連邦制度のあり方などをつぶさに描いたトクヴィルの『アメリカのデモクラシー』がヒントになるからだろうか。

「古典の現代的意義」という言い方は一種のトートロジーだが、たとえば本書にも、2009年にアメリカで催された学会の報告がある。「トクヴィルの旅路」というテーマに対応しているのだろうが、そこでの発表の表題は「トクヴィルと二つの建国テーゼ」「シチリアからアメリカへのトクヴィルの発見の旅」「アフリカを離れて――トクヴィルの帝国の旅」「トクヴィル、アルゼンチン、そして出発点の探求」「トクヴィルと東ヨーロッパ」「トクヴィルと『日本のデモクラシー』」である。また、トクヴィル生誕200年にあたる2005年に東京でおこなわれた国際シンポジウムでも、トクヴィルのなかに人種問題、移民問題、格差問題、ジェンダー・ポリティックスの先駆をみる、というような発表もあったと本書に記されている。現代のそれぞれの課題にひきつけて先達の営為を読み込み、新たな意味を発見しようとする姿勢は、とても大切なことだ。しかし、「ちょっと待って」とも言いたい。

『アメリカのデモクラシー』読解を中心とした本書の第一章「政治思想における古典の力」の冒頭、著者は次のように書いている。古典の読み方には図式的にいうと二つがあり、ひとつはその著者が生きていた時代の歴史的社会的文脈を考えながら著者の意図を明らかにし、そこからテキストを読み解くべきだというあり方、もうひとつは、書かれたテキストは著者から独立し、時代や文化を超えて自由にその意味を解明し、それに耐えるテキストが古典であるという考え方で、自分自身はどちらの極にも徹しえない中間的な立場である、と。このような姿勢で『アメリカのデモクラシー』の周到な読解をしたうえで――この第一章は本書の中でももっとも読み応えがある――、最後に、著者は記す。

「いかに偉大な古典といっても、一切の歴史的制約を飛び越えて現代にそのまま通用するわけではありません。現代の歴史性を自覚するためにこそ、過去への引照が必要なのであり、そのための座標軸を提供するのが古典です。歴史感覚抜きに現代の政治理論の立場からご都合主義的に過去の思想家の権威を借りたり、敵味方に分けたりするのは、決して古典を生かす道ではありません。むしろ、政治思想の古典をいったん徹底して書かれた時代の文脈において理解することこそが、過去とつながりつつ、過去と異なる現代の問題を考える出発点になるのではないでしょうか。私がトクヴィルに即してささやかながら示したかったのは、そういう古典の読み方です」

このような姿勢でつらぬかれた本書を、ぜひ読んでいただきたい。できれば、そこからトクヴィル自身の著作にあたってください。いま問われているのは、トクヴィルにもマルクスに対しても等距離に読まれるようなスタイルではないだろうか。




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