みすず書房

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江口重幸「デイヴィッド・ヒーリーと『双極性障害の時代』」

(江口重幸「監訳者あとがき」より抜粋)

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ところで、ヒーリーと共著もある精神医学史家のエドワード・ショーターは、『精神医学歴史事典(A Historical Dictionary of Psychiatry)』(2005)の序文で、精神医学のおよそ200年の歴史をふり返るとき、あるパターンが見てとれると述べている。すなわち、他の医学領域とは異なり、それまで積み重ねられてきた方法や視点を一顧だにせず放棄し、その時節の流行に大きく左右された理論に飛びつき、大胆な発想がひと時舞台のスポットライトを浴びたかと思うと、すぐに姿を消すような、変化と非連続を特徴としてきた、と。

力動精神医学はまぎれもなくこうした歴史の連続だった。1755年、伝統的な宗教的エクソルシスト(祓魔師)ガスナーに勝利したメスメルはこのように述べたと言われている。「ガスナーは動物磁気について知らないで患者を治していた」と。その後あらたなパラダイムが現われては同様の言説を形成していったのではないか。「動物磁気者(メスメリスト)は催眠について知らないで患者を治していた」、「催眠療法家はヒステリーについて知らないで患者を治していた」、「ヒステリー研究者は暗示について知らないで……」と言うように。

これは少し前の外傷性論者、今日の認知行動療法や双極性障害にまで引き続く現象ではないと誰が言い切れるだろうか。目の前の流行概念を論じることで、まるで科学の最終段階の高みに立って過去をふりかえり、睥睨しようとするヒュブリスがそこにはないだろうか。

例えばある時期には、本書第3章で紹介されている、ウェルニッケ、クライスト、レオンハルトが提示した視点があった。日本では従来「非定型精神病」と呼ばれるような、一群の病態を明らかにするものである。これはネオ・クレペリン主義的枠組みを横断するもうひとつ別の重要な視点をわれわれに示すものであった。ここで今日の操作的診断基準への批判を行なおうとは思わないが、こうした少し前の時代の臨床家や研究者が心血を注いで明らかにしようとした複雑な領域を、単純化してわかりやすく区画整理したような気になることで、臨床像を丹念に追い、診断の可能性と限界を見極めながら進む臨床能力は大きく損なわれたのではないか。私はかねてからそのように感じているが、まさにその話題が本書で論じられていることのひとつなのである。