みすず書房

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江口重幸「デイヴィッド・ヒーリーと『双極性障害の時代』」

(江口重幸「監訳者あとがき」より抜粋)

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やや脇道に入るが、以下にヒーリーの著作との出会いを含めて個人的な経験を書くことを許していただきたい。私とヒーリーの著作との出会いは、1999年にさかのぼる。その秋米国ケンブリッジに滞在していた私は、ハーヴァード大学の直営書店の店頭に横積みにされている地味な装丁の本を目にすることになる。副題も何もないThe Anti-Depressant Eraと言うタイトルと著者名が印刷されたハードカバーである。このタイトルで何か新しい話題があるのかとページを開いてぱらぱら読みだすともう止まらなかった。数日間午後になると通いつめて続きを読み、結局購入して一気に読んだ。

内容は本書同様、抗うつ薬を中心とする精神薬理学の現代史であったが、精神科医が、科学的合理性に従い自らもそれに依っていると確信している科学的根拠がいかに製薬企業のマーケティング戦略と不可分のものであるか。その構造を知らないで、自分は科学的真理の側に立ち、製薬企業の利害とは無縁だと信じて疑わないことがいかに無邪気な思い込みに過ぎないかをとことん論じたものであった。精神薬理学の領域から、こうした人間科学・社会科学的領域にまで越境した批判的視点が提示されたことに、本当に驚かされたのを覚えている。

それを契機に私はヒーリーの著書の熱心な読者になったが、翌2000年秋から2001年の春にかけて、いわゆる「トロント事件」が発生して、彼は文字どおり世界の注目を浴びることになる。それは、いったんは決定されたヒーリーのカナダ・トロント大学への移籍が、就任に先立つ講演等を理由に急遽中止になったという事件である。

メディアが書くまでもなく、その背後には大学に巨額の研究資金を提供している製薬会社の影響や、学界有力者の影響が取り沙汰された。詳細は「Toronto Affair」で検索すると当時のさまざまなメディアが伝えた内容を知ることができるし、世界の研究者がこの事件の動向を注目し、他人事ではなくヒーリーを支援したのがわかる。この事件については『抗うつ薬の功罪』のあとがきでも紹介されていて、この契機となった講演「精神薬理学と自己管理」は、雑誌『みすず』522号(2004年11月号、pp. 18-32)に掲載されている。

こうした経緯を、当時私は息をのむ思いで見守っていた。おそらくはヒーリーとそう遠くない世代に属するであろう自分が、(不遜な仮定であるが)彼と同じような立場に立たされたとする。つまり圧倒的な経済力・影響力を誇るグローバルな製薬企業を相手に論じ、約束されていた就職ポストを潰され、それと一体となった関連学界の絶大な力をもつ重鎮からの威迫にさらされながら、冷静かつ情熱的に、事態の核心を突き、発展を遂げる論文や著作を次々に発表していくこと、いわば最善手を打ち続けることがはたして可能だろうか。私はこうした問いを自問することになった。それは考えれば考えるほど不可能なことであり、彼の新しい論文や著作を読むたびに、その気骨溢れる強靭さに思いめぐらすことになった。

さてその後、ヒーリーが来日した折、開催された講演会に参加し、本人を知る機会があった。「ファルマゲドン」や「エビデンスに歪められた医療(evidence-biased medicine)」等の苛烈な表現から、他者を論難することにたけた熱狂的な人物を想像される読者がいるかもしれないが、実際には少し口ごもりながら丹念に話を紡いでいく、その誠実な人柄がにじみ出るような人物であり、それに魅了されたことも付け加えておきたい。