みすず書房

宮田昇『図書館に通う』

当世「公立無料貸本屋」事情

2013.05.10

月刊「みすず」の連載として、この本はスタートした。毎回、著者は「枕」を用意した。今回、単行本として通読する読者は、きっとそれらの「枕」がただの「枕」ではないことを発見するだろう。

たとえば――

  • * 東野圭吾『マスカレード・ホテル』から、「ホテル」繋がりで、当時ホテル住まいだった『暁の死線』の著者ウールリッチの話へ。
  • * アメリカの新聞王になったジョーゼフ・ピューリツァーにとって、街の図書館が学校だったこと。
  • * 行きつけの床屋の主人の自死から、話は、同じく自死した著名な翻訳家へ。
  • * 折々に登場する「旧友S」との、「通り一遍」とはほど遠い、読書をめぐるやりとり(「旧友S」とは、誰だろうか……)。
  • * 戦争直後の混乱のなかで、家計を助けるために貸本屋を営んで、多くを学んだこと。

――まだまだ、たくさん。

ちなみに、ドイツ語しか知らなかったピューリツァーが、貧しいハンガリー移民でありながら、図書館で勉強し、アメリカで功成り名遂げた話は、著者をとても驚かせた。1970年ごろのことだ。当時、日本の図書館の蔵書数は2858万冊、アメリカのほぼ6分の1強で、いまだに日本では、本というものは、基本的に買って読むものだった。

しかし今や、日本の図書館の蔵書数は3億8600万冊。量としては、革命的な変化だが、ただ、これは複本の増加も含んでいて、図書館に対する著者側の批判を呼ぶことにもなる。

その一方で、順番待ちのリストは、信じがたいほどの長さだ。たとえば、2013年2月中旬、著者の住む市の図書館では、村上春樹『1Q84』(上)の順番待ちは490人、湊かなえ『告白』は359人だったという。1年半待ち? あるいは2年? この数字を、いったいどう読み解いたらいいのか。そこにひとつ、鍵がありそうだと著者は考える。

貸本屋をやめたあと、著者は、編集者から始めて、出版界で生きることになる。つねに、独自のアイデアを仕事に結びつける、起業家でもあった。翻訳権を仲介する日本ユニ・エージェンシーや、日本ユニ著作権センターは、そうして生まれた。

結局、「枕」はたんなる「枕」に終わらず、しかも、著者の言う「本にまつわるとりとめない雑感」でもなく、街の図書館に通う、現在の著者を形づくったものだ。
この本の味わい深さ、率直さ、いくつものアイデアの提案は、生まれるべくして生まれたもの、と言えるだろう。

■『知の広場』の著者アントネッラ・アンニョリ来日講演のお知らせ

[終了しました] 『知の広場――図書館と自由』の著者アントネッラ・アンニョリ氏が来日され、各地で講演会などが開かれます。
2013年5月25日(土)、せんだいメディアテーク(宮城県仙台市)で開かれる建築家の伊東豊雄氏との対談「知の広場とみんなの家」(司会・通訳 多木陽介氏)をかわきりに、6月14日までの講演ツアー。スケジュールなど詳しくは「イベント情報」でご案内しています。

宮田昇『図書館に通う』(みすず書房)カバー