みすず書房

中井久夫『統合失調症の有為転変』

2013.08.12

5月刊行の『「昭和」を送る』から2ヶ月半、また中井久夫先生のエッセイ集をお届けできることになった。タイトルからわかるように、『「昭和」を送る』が著者の一連のエッセイ集の枠に位置づけられるとすれば、『統合失調症の有為転変』はどちらかというと専門的エッセイ集ともいうべきもの。小社の本でいうと『徴候・記憶・外傷』『最終講義――分裂病私見』『臨床瑣談』系列に入るものだ。初出誌をみても、『精神科治療学』『治療の聲』『精神神経学雑誌』『臨床精神病理』『精神療法』『臨床心理学』など、門外漢には存在すら知られていないむつかしそうな専門誌に発表されたものが多い。

しかしやはり中井久夫は中井久夫である。専門誌特有の書式の学術的スタイルに束縛されていても(本書では多くは直した)、中井久夫の文章は明晰で文学的で気品高く、かつ本書に特徴的なことでいうなら、とてもわかりやすい。 なぜわかりやすいのか。それは著者が1966年に精神科医になって以来の実践と思考とアイデアと時代環境を、次の世代、またその次の世代に懇切丁寧に伝えようとする強い思いがあるからである。医師として、医療にかかわってきた者としての責任感が重苦しくない程度に全編にながれ、それは希望の道筋ともなっている。

第I部の統合失調症論4篇、第II部の「国内外の精神医学の動向一端」「戦後日本精神医学史(1960-2010)粗稿」「私の世代以後の精神医学の課題」の3篇、第III部の絵画療法論4篇、第IV部の外来治療その他のあり方をまとめた7篇、どれをとっても、自分のやってきた仕事に叙述を限定しながら、患者を前にした一人の人間の普遍的な像が見え隠れしていて、一種の感動すら覚える。

そういう意味では、本書は、『分裂病と人類』『治療文化論』『西欧精神医学背景史』に代表される博覧強記的・ちょこっとアクロバティック的・注=メタテクスト駆使的な叙述スタイルの真反対にあるものといえるだろう。著者はかつて飯田真との共著『天才の精神病理』の中で、晩年のフロイトがマニュアル的なものを書いて伝える仕事に力を注いだという主旨のことを書いていたと思うが、それはいまの著者にもあたっているかもしれない。

本書の第V部は「付録的」なもので、『みすず』誌1990年3月号に掲載した土居健郎と神田橋條治と中井による座談である。当時50代半ばの著者のトーンと本書の他の各編との違いは読んでいておもしろい。座談中、1950年代に精神分析の勉強にアメリカに行っていた土居健郎に対して、当時の東京大学精神医学教室教授・内村祐之が言ったことばが紹介されている。「土居君、君はたいへんだね。君は、日本文化と精神分析とキリスト教という、この三つの相互に全然なじまぬものを一つにしなくちゃいけないんだね」。「甘え」概念誕生にいたるエピソードの一例だが、これも今後の世代に伝えるべき日本精神医学史の重要通過ポイントのひとつだろう。