みすず書房

國井修「今世紀最悪の緊急事態に立ち向かう」

[書評]ポール・ファーマー『復興するハイチ』岩田健太郎訳

2014.03.19

2010年1月、西半球の最貧国ハイチの首都を襲った大地震をご記憶だろうか。本書は、ハイチで30年近く医療活動を行ってきた世界的に著名な医師ポール・ファーマーとそのチームによる復興への闘いの記録である。
東日本大震災から3周年を迎える日本で本書を刊行するにあたって、世界基金の戦略投資効果局長・國井修氏に書評を寄せていただいた。以下に全文を紹介する。
國井氏は1962年栃木県生まれ。自治医科大学、ハーヴァード大学(公衆衛生学修士)、東京大学(医学博士)。国際緊急医療援助や在日外国人医療援助に従事。2004年長崎大学熱帯医学研究所教授、2006年ユニセフ・ソマリア事務所・保健・栄養・水衛生支援事業部長などを経て現職。著書に『国家救援医』(角川書店2012年)。国際保健分野でのめざましい活躍が注目を集めている。

今世紀最悪の緊急事態に立ち向かう

國井修

2010年1月12日、四国の1.5倍ほどのカリブ海の島国ハイチで発生した地震は、今世紀最悪の災害となった。死者31万人(政府発表)は阪神淡路大震災の48倍、東日本大震災の16倍である。

マグニチュードは阪神淡路大震災の7.3、東日本大震災の9.0に比べて、ハイチ地震では7.0と弱いが、人口100万人以上を抱える首都ポルトープランスを直撃し、多くの手抜き工事のビルをパンケーキのように押し潰した。

ちょうどその時、私はミャンマーのユニセフで働いていた。2008年にミャンマーを襲い、14万人の命を奪ったサイクロンの復興支援から自らは離れられず、同僚をハイチの緊急支援に派遣した。数ヵ月後、戻ってきた彼らの第一声が「悪夢だった」。

災害はすべて悪夢だ。私も阪神淡路大震災、東日本大震災、スマトラ沖地震・津波、バングラデシュ竜巻、大洪水など様々な災害の現場で医療支援などをしてきたが、血まみれ、泥まみれの遺体・負傷者、瓦礫と化した家屋、なぎ倒されたビルの残像は今でも消えない。

ハイチの悪夢は、その死者の多さ、光景の悲惨さだけではない。300万人といわれる被災者を救援・支援するための物資がない、政府・行政が機能しない。海外から緊急援助が届くも、首都のインフラは壊滅状態で、援助自体がうまく進まなかった。さらに地震発生10ヵ月後、皮肉にも復興支援で駐留していたネパールの国連平和維持活動(PKO)部隊が感染源と思われるコレラが流行し、瞬く間に全国さらに周辺国に拡大し、70万人以上が発症、8000人以上が死亡した。

そんな「今世紀最悪の緊急事態」をどれだけの日本人が知っているだろう。この本はその記録であり、犠牲者に代わって証言するものである。

しかし、著者のファーマーにはさらに伝えたいこと、検証したいことがあった。彼曰く、ハイチの地震は「慢性状態が急性増悪(ぞうあく)した出来事」(acute on chronic)である。世界で最初の黒人による共和国、奴隷制度の鎖を断った最初の国、皇帝ナポレオンに撤退を強いた最初の国でありながら、ハイチは植民地時代から500年にわたって続く外国からの社会的・経済的圧力、約20年間続いた米国による軍事支配などにより、慢性的な問題を抱えてきた。西半球の最貧国といわれながら、社会基盤も、公共サービスも整備されず、NGOによって支えられてきた脆弱国でもあった。

そんなハイチが大地震で急性増悪した。過去の慢性的な問題を十分に分析した上で、急性増悪への対処を考えなければ、ハイチに真の活力を取り戻し、復興させることはできない、著者はそう考えた。そのためにも、彼が関わってきた別の国、かつては最貧国の一つで、100万人ともいわれる大虐殺を経験しながら、過去10年ほどで見違えるほどの政治・経済・社会発展を遂げたルワンダとの比較をしている。いかなる慢性問題があり、どのようにルワンダと比較検討し、解決を模索しているのか。本書を読んでのお楽しみである。

訳者である岩田健太郎氏は超人である。若くして大学教授となり、感染症分野の臨床・研究・教育に超多忙な中、過去に約70冊もの本を上梓している。その岩田氏が「自分には手の届かないスーパーヒーロー」と礼賛するのがポール・ファーマー。いかに凄いかは訳者のあとがきを読んで頂きたいが、医師で医療人類学博士、ハーヴァード大学の教授でありながら、NGOを設立して世界で恵まれない人々に医療を実践し、クリントン元大統領の補佐役として国連ハイチ副特使となった人。

岩田氏はファーマーのことをもっと知りたい、ハイチについてもっと学びたいとの思いからこの本を訳したというが、ハイチの「慢性状態が急性増悪した出来事」の中で悩み、苦しむファーマーの姿をみて、その人間的な弱さとスーパー・パフォーマンスの共存がより魅力と化し、ますますファーマーを好きになったと言っている。

私の関心はむしろ、どうやって日本にファーマーのような人材を育てるかである。確かにファーマーは逸材だが、実は世界には彼のように情熱と能力と行動力を兼ね備え、学問と実践を両立させ、資金を動かし、政策に影響を与える人がいる。また組織がある。

日本国内をみると、程度の差こそあれ、彼のような情熱と能力と行動力を兼ね備える人材がいても、それをさらに育て支えられるハーヴァードのような大学、クリントンのような政治家、ジョージ・ソロスのような篤志家がいない。

私は以前、日本の病院や大学で働きながら、年に一、二度有給休暇をとってNGOを通じて緊急援助をしていたが、忙しいのに一週間も休みをとるとは非常識などと上司や同僚から批難された。

それが米国の大学院に留学した時、教授自らがボランティアで貧民街の医療問題に取り組み、内戦が終わったエルサルバドルに休暇を利用して医療ボランティアに行こうと計画した我々大学院生に、一人10万円(計6名)の補助金と自主学習として2単位分を提供してくれた。カーターやクリントンは、大統領を辞めてから財団を創設して世界の保健医療、教育問題に真剣に取り組んでいる。

東日本大震災も終わったわけではない。震災後の急性期に2ヵ月半、その後もときどき被災地を訪れて感じるのは、実は東北にも固有の慢性的な問題があり、その分析と検討の上に復興を考えなければ、本当の「よりよい町づくり」(build back better)はできないかも知れないということだ。他人の痛み・苦しみをどれほど真剣に考え続け、行動できるか。ファーマーの本を読みながら、東北のこと、わが国のあり方についても思いを馳せてほしい。

(くにい・おさむ 世界エイズ・結核・マラリア対策基金戦略・投資・効果局長)
copyright Kunii Osamu 2014

(この書評は、出版情報紙『パブリッシャーズ・レビュー みすず書房の本棚』2014年3月15日号一面のためにご寄稿いただきました。著者のご同意を得てここに転載しています)

  • (本書の注に挙げられている情報には動画がいくつかある。音声は英語やクレオールだが、映像からは文字では伝わらないものが伝わってくるので以下に二つを紹介したい。)
  • http://www.cbsnews.com/video/watch/?id=6108550n&tag=api
    2010年1月17日放送のアメリカの報道番組「60ミニッツ」から、ファーマーへのインタビューと地震の惨状を伝える映像を12分弱に編集したもの(冒頭はコマーシャル)。
  • http://vimeo.com/13281822
    コンクリートの下敷きとなり脚を失い義足となりながらも、医療者として再出発した女性たち(本書の登場人物)。冒頭の女性は、やはり脚を失った患者を歩いて見舞う。3分半ほどの動画。英語字幕つき。