みすず書房

アンドレイ・ランコフ『北朝鮮の核心』

そのロジックと国際社会の課題 山岡由美訳 李鍾元解説

2015.06.10

数カ月前、金正恩第一書記の側近の一人である玄永哲人民武力相が反逆罪で処刑されたというニュースが流れ、一時騒然となったところであるが、今のところ北朝鮮では、上中流層を中心に生活が上向きつつあるようだ。政治だけでなく経済的にも社会主義を標榜している北朝鮮で、オフィシャルでない市場経済活動が実質的な経済を支えるようになってしばらく経つ。主な担い手は女性。もちろん北朝鮮における女性の地位は低い。しかし低いからこそ政府の拘束が男性ほどには及ばず、家族を養うために厳密には非合法の商いを営むのは女性ということになる。最近では富裕層の間でコーヒーがブームだともいう。市場経済の片鱗とともに、西欧文化の香りも侵入しつつある。

では平壌の政権は大々的な経済改革を断行する方向に向かい、「普通の国」になっていくのだろうか。本当にそうあって欲しいものだが、それでは現体制の存続が危うくなるので難しいだろう。それではどのような未来がありうるのか。

本書の著者アンドレイ・ランコフ氏は冷戦時代のソ連に生まれ、レニングラード大学に学び、金日成総合大学にも留学した経験を持つ。母校に教職を得た後オーストラリアの大学へ移り、10年ほど前からはソウルの国民大学で教鞭をとる歴史家である。本書では長めの1章を割いて北朝鮮略史を手際よく語っているが、歴史家の著作としては異例なことに、敢えて未来について語っている。ソ連の崩壊と東西ドイツの統一を間近で見た経験が、いずれ避けがたくやってくる北朝鮮崩壊についての考察に活きている。少しでもそのショックと混乱を和らげるために考えておくべきことも具体的に記されているが、いずれも長年にわたる実証的な歴史研究の厚みと、自身のバックグラウンドに支えられた説得力を持っている。今サラッと書いてしまったが、「避けがたくやってくる崩壊」という明言にギョッとした人もあるかもしれない。著者は、現体制の永続的な存続はもはや不可能で、諸問題の解決は現体制の崩壊なしには難しいと考えているが、崩壊を促すのは、外の世界の情報を北朝鮮に送り込む国際社会からの長期的な関与政策であるとしている。今度は「そんなことで」と思われるかもしれない。しかし手っ取り早い方法はない。歴史上、政体に大きな変化をもたらしてきたのは何だったか。さらに最も困難なのは、崩壊を起こすことではなく「その後」である。西側から見れば不合理な奇行をくり返す特殊な国であるために、北朝鮮問題を考える際にもなにか特殊な思考が回りがちかもしれないが、リアルな北朝鮮をリアルに見据えた本書は、その思考の「コリ」を解してくれるだろう。

ところで、ランコフ氏は各種メディアへの寄稿も多く、最近の記事のなかで北朝鮮とロシアの接近について書いている。中国への依存が深まることを嫌う北朝鮮首脳部(常に、競合しあう複数の国と関係を結ぶことを是としてきた)がロシアへの接近を求め、欧米への対抗軸の形成を望むロシアが、ウクライナ危機後、北朝鮮への歩み寄りを強めた。ロシアにとって北朝鮮との貿易規模は取るに足らないもので、それが今後拡大したとしてもたかが知れているかもしれない。しかし政治的関係のほうはどうか。ランコフ氏が本書で描いた将来のいくつかのシナリオに、変更が生じるようなものになるのだろうか。北朝鮮の将来は予断を許さないだろう。