みすず書房

植田実『集合住宅30講』

2015.12.09

昨年末、南青山のギャラリー「ときの忘れもの」から年明けに開催予定の植田実写真展「都市のインク――端島複合体 同潤会アパートメント」の招待状が送られてきた。表に印刷されていた写真はカラーの代官山アパートとモノクロの端島日給社宅。この2点はそのまま横滑りして世界各国の建築家による集合住宅デザインレシピ集ともいうべき本書冒頭を飾っている。無理やり押し込めたのではなく、むしろおのずと収まるべきところに収まったという感じなのだが、その理由めいたものを書き連ねておきたい。

同潤会アパートに関するまとまった研究資料として、少なくとも1990年代半ばにいたるまで必ず参照されていたのが「都市住宅」1972年7月号「生活史・同潤会アパート」で、同誌が「集住体」を年間テーマに掲げた初年度に組まれ、住宅政策史の一齣でしかなかった運動を一躍近代建築史の事件に引きあげることになった特集である。当時編集長だった植田さんの述懐によれば「このとき初めて東京・横浜の各地区を見てまわり、同潤会の〈実力〉に圧倒されたのだった。完成からすでに4、50年の歳月を経ているうえに、戦後は住戸が私有化され、しかも地区によって管理体制が違う。集合住宅が多様な条件下でいかに多彩な顔を持つことになるのか。それを知ったのである」(*1)
その後は徐々に、たとえば作中の殺人現場と東京の地誌を重ねあわせながら同潤会の「怪しげな」魅力を浮き彫りにした松山巖『乱歩と東京』(PARCO出版1984)、都市計画の観点から木造「普通住宅」をも視野に収めた佐藤滋『集合住宅団地の変遷』(鹿島出版会1989)、設計に携わった関係者の貴重な聞き書きを含む藤森照信『昭和住宅物語』(新建築社1990)などが刊行されていったが、同潤会を単独でとりあげた最初の書籍といえばマルク・ブルディエ『同潤会アパート原景』(住まいの図書館出版局1992)。「住まい学大系」第49巻。こちらも編集長の名はウエダ・マコト。

「都市住宅」の特集から20年経ったこの時期、戦前のモダニズム建築が世間的にもようやく「アウラ」を放ちはじめる(戦後の団地群が「レトロでお洒落」に映るのはさらに10年ほど後のことである)。表参道の青山アパート前はふだんの人込みにくわえファッション誌、テレビドラマその他の定番的撮影スポットとしてにぎわっていた。90年代後半から世紀の変わり目には同潤会をメインタイトルに掲げた単行本や雑誌特集、写真集も複数出回りはじめた。こうした現象をメダルの表側だとすれば、裏側はいうまでもなくスクラップ&ビルドの進行である。
事の始まりは1982年、小津安二郎『東京物語』(1953)が「戦争未亡人」原節子の住まいとしてダストシュートの這う背面を記録した平沼町。代官山が解体された1996年、16地区にあった同潤会アパートはほぼ半減していた。そして2002年から翌年にかけて清砂通、青山、江戸川、大塚女子が一挙に取り壊される。まだ三ノ輪や上野下は現存していたものの、実質的にこの時点をもって「絶滅」が確定したといえる。図らずも植田実『集合住宅物語』(みすず書房2004)は保存の最終手段、つまり「記録保存」の一環に組み込まれることになる。

『集合住宅物語』に登場する同潤会は青山、清砂通、鴬谷、大塚女子の4つのアパートと善福寺の「普通住宅」。取材対象でなかった代官山、江戸川の写真は収録されていない。じつをいえば代官山はカバー写真の候補にあがっていたが、最終的に(カバー表裏ともに)飯倉片町の「スペイン村」和朗フラットに席を譲った。だから今回は敗者復活(同地を自覚的に訪れる機会を永久に逸した編集担当者の悔恨の念がそこに混じっていなくもない)ともいえ、写真にかんするかぎり本書は「震災復興住宅」代官山で始まり、代官山で「クローズ」する。
一方、江戸川の1号館「独身室」を、植田さんは最後まで漫画本の書斎用に借りていた。それだけに、物件ごとでなくディテールごとの考察となる本書第1部ではしばしば言及されている。結果的に図版も著者撮影のカラー6点、モノクロは竣工時の外観と模型写真2点(出典は『建築の東京』)の計8点を収録、同潤会のなかでは最多点数となった(ちなみにマルセイユのユニテは10点掲載)。

さて端島、軍艦島である。1974年の閉山後に植田さんは東京電機大学「阿久井研究室の第1回調査に編集の立場から同行」、このとき「いままでいた人々が突然いっせいに消え、唖然としている建築群」(*2)をカメラに収めている(「都市のインク 端島複合体」に刻印された日付)。「都市住宅」の軍艦島特集は1976年5月号。その後数年にわたって不定期連載が掲載されるも同年3月号を最後に植田さんは編集部を去っていた。したがって撮影者のひとりとして名を連ねるにとどまったが、同時代の別の雑誌の連載のなかでこんな印象を綴っている。
「私にとって〈軍艦島〉は大きな示唆であった。大正5年(1916)に建設された日本最古の鉄筋コンクリート造高層住宅は、伝統的な長屋形式が現代のアパート形式に引き継がれるその瞬間の空間構成をもっていた。もしこの島を訪れなかったら、過去と現在との集合住宅はいつまでも私にはそれぞれ独立した図式であり続けたにちがいない」(*3)

ともにRC造、つまり鉄とコンクリートによる構造体。かたや人が住みつづけ、街の顔として親しまれながらもついに姿を消した建物。かたや無人のまま40年間放置されたあげく世界遺産として言祝がれた建物。この2極を結ぶ異様な磁場に集合住宅は現在もなおしばられたままだ。と同時に、そのことをふまえずして建築家の実験も居住者の経験も積み重ねるべくもないのである。本書第1部はこう結んでいる。
「そもそも建築において20世紀的なるものの最たる事例である集合住宅の生命は、たとえば死の建築として途方もない長寿を生きてきたピラミッドと比べてどう計ることができるのか。生の領域において建築は軽い。とりわけ集合住宅はもっとも仮設的だとさえいえる。けれどもこの100年あまり、世界の建築家たちが設計を見果てぬ夢としてきたのもやはり集合住宅ではなかったか」

  • (*1) Gallery A4、2015年3月、シリーズ『都市に住まう』第1回「同潤会の16の試み」展に寄せられた文章。ウェブ上で公開されている。 http://www.a-quad.jp/exhibition/070/p04.html
  • (*2) 「みすず」2015年3月号。
  • (*3) 「みづゑ」1975年4月号、『都市住宅クロニクル I 』みすず書房2007所収。なお、引用文中で言及されているのはロの字型の旧鉱員社宅30号棟「下請飯場」で、16-20号棟「日給社宅」の竣工は2年後の1918年。

◆「出版記念(サイン)会」が開かれます

ギャラリー ときの忘れもの(南青山)で2015年12月18日(金)15:00-19:00開催です。